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最新の分は上記をご覧ください。

2009年4月29日 日本は桜が満開でした
伊藤國廣
杉山様、熊丸様、三浦様
ご無沙汰しております。その後いかがお過ごしですか。
4月の初め無事日本に帰国しました。
ガーナからの帰路では以前から一度訪れたいと思っていたケニアでのサファリを1週間ほど楽しんで来ました。小さい時に思っていたアフリカのイメージにぴったりのところでした。

 ↑クリックすると大きな写真が見れます
現在はJICAへの報告も終わりゆっくりしているところです。

5月8日にハローワークに行き11日には福岡の実家に行く予定です。そこから西高の旅行に参加しようと思っています。5月24日には鎌倉に戻ってきます。

昨日は湘南ビーチFMの収録に行ってきました。2年前にシニアボランティアに参加する時にも抱負をラジオで話しました。

5月6日10:40より10分ほど放送されます。若しご関心があればGoogleまたはYahooで『湘南ビーチFM』を検索しホームページ左上の『放送を聞く』をクリック。全国のサイマルラジオの地図の下にある欄から関東湘南ビーチFMの『放送を聞く』映像・音声をクリックすると、ローカル局のFM放送が聴けます。

もうご存知だったかもしれませんが、インターネットで日本全国にあるローカルFMが聴けるのですね。

帰りに寄ったケニアの写真を添付します。今後ともよろしくお願いいたします

2009年4月23日 2009年のきららタウンのハヤブサ 
阪上幸男
今年も順調にスタート
私の勤務地”きららタウン泉大津”に住み着いたハヤブサの子育て挑戦は6年目になります。
今年も、メスの”いずみ”とオスの”きらら”のペアで4個の卵が確認され、順調に卵が温められていました。
通常であれば抱卵開始から約30日から35日で、純白の綿羽根に包まれた可愛いヒナが誕生するはずでした。
高層階のホテルのベランダに作られた巣は、ヘビや獣に襲われることもなく、ヒナたちがすくすくと育ち無事に巣立っていくはずでした。
いずみに突然の事故
事故は突然訪れました。抱卵開始後16日目、メスの”いずみ”が負傷しました。原因はわかりませんが頭部あるいは右顔面の打撲による擦過創、腰を打撲したことによる坐骨神経麻痺で左脚指が開閉できない、右目瞬膜白濁に充血(眼は見えている。)という、内容でした。

泉大津ハヤブササポート倶楽部の会員で大阪府の指導を受けながら”いずみ”と”いずみの卵”の救出を行いました。”いずみ”は、1週間の入院ののち、大阪府内のリハビリ施設に移送され現在も訓練を受けています。
いずみときららのヒナ誕生
 一方、ハヤブサを育てることに熟練したボランティアに託されて人工保温器で温められていた4個の卵のうち2個が、4月5日に無事孵化しました。残りの2個は不幸にも既に死んでいました。”いずみ”は負傷しながらも卵を抱き続けていましたが、やっぱりすべての卵を均等に保温できないくらいダメージがあったようです。しかしながら、2羽のヒナたちは生まれたその日から餌を欲しがりピィーピィーと鳴いていたそうです。写真は孵化後約1週間を経過したときのものです。
きららの再挑戦
ハヤブサは絶滅危惧種にしてされており生息数はとても少ない猛禽類ですが、意外と身近に住んでいるようです。”いずみ”が負傷し入院した翌日には、別のメスが巣の様子を伺いに来ました。そのうち、オスの”きらら”とのペアリングが成立し、既に3個の卵を産んで抱卵を続けています。私たちの予想では5月連休明けにはヒナの誕生が期待されます。

”いずみの”負傷はとてもつらい出来事でしたが、引き続き「きららタウン泉大津」でのハヤブサの子育てが観察できることはとても喜ばしいことです。

2009年3月5日 3年2組(女子クラス)の還暦クラス会を開催しました。
横山幾子
2月20日、3年2組の還暦クラス会を行いました。

会場は西高に近い「ウェルシティ長崎」
一次会はここでの昼食です。出席した12名のうち県外からも5名が参加してくれました。

参加したメンバーは主婦なので一旦お開きにし、長崎のメンバーはそれぞれが自宅に帰り家事を済ませ、又二次会に集まりました。(二次会に参加できなかった方も2,3人いらっしゃいましたが。)

県外から参加の方が「全日空グラバーヒル」(大浦天主堂の近く)に宿泊していましたのでそこで夕食をとりました。

クラス会はそれだけで終わらずまたまた銅座のカラオケボックスに行きました。
前列左より:(カッコ内は旧姓と現在のお住まい)
木原省子(灘口・埼玉県)、溝口貴美子(山口・愛知県)、
小山素子(一番ケ瀬・長崎市)、石尾喜美子(西崎・神奈川県)、川野ミドリ(片岡・長崎市)
後列左より:
勝井睦子(新郷・長崎市)、山崎恵子(高橋・神奈川県)、
橋本啓子(森沢・千葉県)、水上良子(久保・長崎市)、
横山幾子(鐘ヶ江・長崎市)、藤原宣子(桑原・東彼杵)、
宮崎牧子(馬場・長崎市)

2009年2月17日 アフリカ・ガーナよりのたより。
伊藤國廣
三浦さん、こんにちは。
いつもホームページ更新、楽しく見ています。私も早いものでもう残り1か月半となりました。
こちらは四季がなく年中暑いため日本の四季が懐かしく思い出されます。

ガーナ大統領の決選投票が先月行われました。テレビではシエラレオネでのシビルワーの残虐な映像をバツ印付きで流し、このようにならない様にしましょうと呼びかけていました。この映像はカットなしの残酷な映像です。

大統領の就任式も1月に行われ、小泉元首相が天皇陛下の御名代として来られました。私たち海外協力隊も日本大使館での昼食会に招待され、元首相、元大統領とともに記念写真を撮りました。

残り僅か、マラリアと安全に気をつけて過ごそうと思っています。
先日北部アッパーイースト州ボルガタンガの『タンガガビックリ』というダンスを踊るローカルダンス団が来まして、休憩を含めて2時間ほど踊ってくれました。

激しい動きで汗びっしょりエネルギーに満ちたダンスでした。その時の写真を送ります。

伊藤さんを紹介したページ

2009年2月4日 在京メンバーで新年会をしました。
熊丸秀和
1月30日、今年?度目かの新年会をやりました。

今までの新年会との違いは今回、東高の19回生2名が一緒だった事です。
彼等は森山君や久野君、桑野君等の友人だった人達です。
その内の一人、ひょんな事で知り合いになった亀山君に声を掛けたところ、山田君を引き連れての参加でした。
最初の居酒屋では自然と長崎弁でのトークになり、盛り上がりのついでに隣の[カラオケ店]で歌合戦、最後は[高校三年生]の合唱で〆となりました。
メンバーが変わってもやってる事は代わり映えしませんね。
 
何時も同じような飲み会ですが、東高とのコラボは始めてだと思い、何かと色んな輪が広がればと思い掲載させていただきます。

森山、金子、寺尾、山口、杉山、上原、村山、亀山、山田、&私の合計10名
(東高は後列メガネで細い人が山田君、前列右から2番目の丸い小太りの人が亀山君です。)

2009年1月31日 美術展 2009[ima]長崎 に行ってきました
三浦こずえ
写真を趣味にしている渡辺(井手)憲子さんから美術展の招待状をいただきました。
会場は自宅から近い「ブリックホール」です。
3階の会場はデザイン画、2階の回廊の壁に絵画や写真が展示してありました。
右の写真は渡辺さんの作品。
題名は「美ら島」と書いてありました。美ら島は沖縄ですね。写真は織物を撮ってあるようです。

美術展 2009[ima]長崎
期間:1月25日〜2月8日
会場:長崎ブリックホール

2009年1月20日 ハヤブサのひなの誕生が楽しみです。
阪上幸男
泉大津ハヤブササポートクラブのHPも覗いてください。必ずや可愛いヒナたちが誕生することでしょう。
今年も、繁殖期が近づき、毎日ハヤブサ夫婦が巣を訪れてディスプレイを繰り返しています。
2008年の巣立ちヒナたちの元気な様子を撮影したものです。

2008年12月18日 長崎の同級生の上京で東京で食事会をしました。
在京メンバー
12月15日、上京中の水上良子さんとの昼食会を行いました。この日は田中順子さんがよく利用されていると言う、西麻布に有る和食専門の落ち着いた雰囲気のお店で9名での懇親会となりました。

最初、「高校時代の事は良く覚えていない」と言っていた水上さんでしたが、昔話が弾む中、水上さんが思い出した事も結構出てきて、大変楽しい時間を持つ事が出来ました。

途中で何故か長崎で[世界のクリスマス展]をやっているはず?の上原君も加わり、結局このお店で三時間も粘って話し込んでしまうほどでした。
お店には迷惑だったかも知れませんね(^^)
水上さんとは来年五月に行われる長崎の同窓会での再会を約束して、解散となりました。

前列左から、橋本啓子、田中順子、水上良子、
大河平愛子、山崎恵子
後列左から、杉山量良、上原寛一郎、熊丸秀和、
近藤秀二、長野孝道(敬称略)

2008年12月12日 長崎での列福式に参加してきました。(11月23日)
杉山量良
 「ペトロ岐部と187殉教者」列福式に参加して

「列福式に参加しない?」 近藤君から連絡があった。「列聖式」というのは聞いたことがあるが、「列福式」は知らない。想像はできた。でもそれが、日本ではまだ、1度も開かれたことがないとは知らなかった。「列福式」の重みも・・・。
(*列福式とは

(1)開始まで
誘ってくれた友人は浦上地区として入場券を手配してくれました。 前夜ミサが、浦上、大浦、西坂、城山の各教会で行なわれました。列福式の会場は準備の人たちが忙しく行きかい、翌日に迫った式典が大掛かりなことを感じました。

会場は「ビッグNスタジアム」と言う、長崎県では一番大きな野球場。24000人収容施設です。
(2)入場
前日まで何とか、持った天候も夜になって小雨になりました。当日は大雨。激しく降る雨音に本当に開催できるのだろうかと不安がよぎりました。12時から開始ですが、9時半から開場すると言うので、近藤君と並びました。9時半の会場時には各ゲートに50人〜100人が並んだようです。

私たちの席は演壇から一番、遠いところでした。でも、それが幸いして、球場で唯一の屋根があるところに席が確保できました。おかげで大雨でも濡れることなく、快適に参加できました。天候は30分ほどの大雨、長時間の小雨と寒さ。そして、日が射したときにはまぶしさと熱さ。まるで、拷問のような天候でした。
(3) 開始
まずは、入場から始まりました。最初にマカオから送られたという殉教者の骨が入った「聖遺物」。各地区の「象徴としての土」が壷に収められ、その後、聖職者たちが並びました。最後にアジア地区の代表聖職者とローマ教皇代理ジョゼ・サライバ・マルティンス枢機卿が入場。これだけで30分ほどを要しました。聖職者の方々は400人はいたでしょうか・・・。その人たちがおごそかに入場するのですから、見るほうは正直言って入場だけで疲れてしまいました。
(4) 式典
式典そのものは、簡単でした。日本カトリック司教協議会会長「ペドロ岡部大司教」が「ペトロ岐部司祭と187人の尊者を福者に加えてください。」と、言って各教区司教が殉教者を紹介した後、教皇代理が「ペトロ岐部司祭と殉教者である以下の尊者を使徒的権威によって福者の列に加えます。」で終わりでした。
式典では白柳枢機卿の説教と共同祈願で述べられた各教区の「意向」が感動的でした。特に「意向」はそれぞれの地区で殉教した人たちの気持ち、そしてそれをどう自分たちの中に生かしていくかが述べられ、自分たちも強く生きなければならないことを感じました。
(5) 閉幕
15時終了の予定が16時近くになって、ようやく終わりました。なんと、6時間半近くも野球場にいたことになります。中には五島地区のように船の出港に間に合わないので、途中で帰る人たちもいました。

そして、終了してからも大混雑でした。細い歩道しか無いため、遅々として進まず、車道を抜けて反対側の歩道へ行こうとしたら止められたり、イライラすることしきりでした。
でも、その後はおいしい「ちゃんぽん」が待っていました。会場から歩いてすぐのところに長崎でも有名な中華料理屋宝来軒別館があり、定番の「ちゃんぽん」「皿ウドン」「ハトシ」に舌鼓を打ちました。** 注 「ハトシ」は、エビのすり身を食パンにはさみ油で揚げたもの。おかずというよりおやつ風な料理です。

2008年11月29日 在京とーく会は早々と忘年会をやりました。
熊丸秀和
11月27日、こちらではちょっと早い忘年会を行いました。
今年の忘年会は女性が3名参加の合計13名でした。

18:30の始まりでしたが、相変わらずいつものように30分くらい前に来た人も居たらしく、私が着いた
18:25には既に8名がガヤガヤやっており、「幹事の癖に遅かぞ!」と言われ無き非難を浴びる始末
・・・・・・・。

始まる前に半分出来上がっている貴方達の方が絶対におかしい・・と思いつつ、乾杯!!!
今回、桑野君が一着ウン万円もする高級カシミヤセーターを2枚用意してくれ、最後に抽選会をやりました。
クジ運の良かった人は、山野さんと佐々木君。

3時間があっという間に終わってしまい、まだまだ話足りない中で次の再開を約束しての解散となりました。

2008年11月13日 3年2組の7人が集まってクラス会をしました。
宮崎牧子

前列左から 川野(片岡)ミドリさん、久保(水上)良子さ
ん、宮本(小林)はるみさん
後列左から 藤原(桑原)宣子さん、横山(鐘ヶ江)幾子
さん、山崎(高橋)恵子さん、宮崎(馬場)牧子
川崎市から山崎(高橋)恵子さんが帰省された為、声掛けあってクラス会をしました。卒業以来の人もいて、なつかしく話がはずみました。私たちの担任だった松井先生は卒業後早くに他界されましたが、クラスの結束がとても強く、まとまっていて、とにかく楽しいクラスだったので、思いで話で大笑いしたことでした。
また、14日(金)は大村の中華のお店に4人で行くことにしています。宮本さん紹介のとても美味しい所だそうです。(田舎茶屋「灯火」)

長くお仕事していらした川野さん、久保さんも今はお仕事を辞めていて、みんな主婦しています。
ほとんどお孫さんもいるおばあちゃんです。

10月31日(金) 於:吉宗 ケーキの梅月堂

2008年11月11日 西高創立60周年記念式典のため帰省しました。
阪上幸男
三浦様
 こんばんは。
飛鳥クルージング、 楽しまれた様子がよく伝わってきます。良かったですね。
前回のメールでお知らせしましたが、私もこの連休で長崎に行ってきました。
山口修君と一緒だったのは、31日の晩ご飯と、1日の昼飯まででした。
特に31日の晩ご飯は、浜口町の「谷口」さんの店に行ったのですが満員で×。
長崎の同窓生も皆さん用事が有ったようで会えませんでした。
時間をもてあました私は、諫早干拓地に2日連続で、バードウォッチングを楽しんできました。
2日の晩は私1人だったので、大波止のフィッシャーマンズワーフの飲み屋でひとりで飲んできました。
翌日、目が覚めて、ホテルの前の水辺の森公園を散歩しましたが、「飛鳥U」が接岸していました。三浦さんが昨日これで帰ってこられたんだな、と思いながら見てきました。

添付の写真は、諫早干拓地で割りと近くで大好きなハヤブサが電柱に止まっていたので、デジカメで撮りました。

少し寂しい長崎行きでした。
阪上

2008年10月30日 深センの森山博君の工場に行ってきました。
杉山量良

10月22日から27日まで中国深センにある森山君の工場へ行ってきました。
中国深センは香港の北に隣接する800万人の大都市。
深セン空港の近くに森山君の工場がありました。
参加したのは、熊丸、金子、長野、田中(熊丸君が招聘)と杉山の5人。
訪問の目的は森山君の工場のコンサルティングです。
5人の、今までの経験をいかして、工場内をまわり、気付いた点を指摘しました。
改善点は経営・経理、業務フロー、生産管理、現場管理、在庫管理、安全管理など、200点以上に及びました。
5人のメンバもコンサルティングは初めての経験でいい刺激になりました。

森山君の工場。10年前から順調に業績を伸ばし、今は2つの工場を持ち、合わせて1000人超の工場になりました。

「シンセンから」
シンセン市街の69階建てのビルから眺めた景色です。
山の向こう側が香港になるそうです。
ウェルカムパーティー。工場近くの中華レストランで食
事。最初から和気あいあいの雰囲気でした。
事前打ち合わせ。今回の訪問の意
義、やり方などについて相談しまし
た。
工場内は整理整頓され、清潔なラ
イン。女性の工員が多く、華やかで
した。
金子君と杉山の2ショット。楽しそう
でしょう?これで、ちゃんと、指摘が
できたから、不思議です。
「指導の様子」
会議室(隣の工場長室の方が広か
ったけど)で個別指導している熊丸
さん。熊丸さんと田中氏が一番熱
心に仕事してましたよ。
最終日での報告会です。みなさん
は真剣にメモしていました。
近くにある熊丸君の工場も訪問し
ました。(正門入り口です)

2008年10月28日 東京滞在4日間楽しんできました。
三浦こずえ
10月18日(土)に開催された在京同窓会に参加してきました。
上京するにあたり、在京の十九会の皆さんへお願いし、私のすべての行程をアシストしていただくことになりました。
5人のメンバーに「上京しますからよろしく。」とメールしたところ「全部任せて!!あなたは航空券さえ用意したらいいから。」と心強いお言葉をいただき、出発までにすべての予定がしっかり決まりました。
ホテルはもちろん、空港へは誰が迎えに行き、誰がサブにつくか、どこで食事して、どこの駐車場に止めて、2日目は同窓会の時間までどこに行くかまで、すべてきっちりです。

●10月17日
12:00 羽田着
長崎から久野さんご夫婦と出発。羽田に熊丸さん、近藤さん、八木さんが迎えに来てくださいました。
早速空港内で3人で昼食。ちゃんと個室を取っといてくださって、飛行機を見ながらごちそうになりました。
八木さんはお仕事に戻られました。残念!
ホテルのチェックインまでには時間があるので、「海ほたる」まで熊丸さんの車でドライブ。少し寒かったです。
1日目の夜は中学の友人7人とホテルの居酒屋で懇親会をしました。なんと5時間も。

●10月18日
(8:00) 朝食バイキング
私が宿泊したホテルに男性3人、女性3人が朝食バイキングに来てくださいました。(主婦もいるのに、みなさん大変でしたね。)

ホテルから歩いて15分のところに
お住まいの山野(本多)セツ子さ
ん、
横浜から来てくださった杉山量良さ

板橋から来てくださった上原孝子さ
ん(左)、山野セツ子さん(右)

ホテルからそんなに遠くないところにお住まいの中島(深江)妙子さん、中島さんとご近所だとわかった熊丸さん

本日一日の運転を引き受けてくだ
さった、近藤秀二さん

ホテルの朝食、わいわい言いなが
らおいしかったです。

朝食なら行けるとみんな来てくれたんです。

(9:30〜14:00)国立新美術館
朝食バイキングのあとは六本木の「国立新美術館へ」
5人でピカソ展見て来ました。ピカソの絵を理解するのは難解でしたが、黒川紀章さんデザインの建物は素晴らしかったです。
展覧会見た後もロビーの吹き抜けでずっとお茶していました。

●カーナビの話●

今回私を送り迎えしてくださった3人の方の車にはすべてカーナビがついていました。
近藤さんの車に乗せていただいた時、助手席に杉山さんが座り、カーナビを見ながら人間ナビをしていました。
後ろの席に座っていた私:「なんでカーナビ付いているのに人間ナビが必要なんですか?」
近藤さん:「人間ナビが安心なんだよ。」
杉山さん:「このナビ、変だよ。だって声出てないもん!」
信号待ちで、杉山さんがナビの設定をちょこっといじり音が出るようにしました。
ナビ:「700メートル先左方向です。」「まもなく目的地周辺です。」
私:「えっ、今まで音が出ないナビを使っていたんですか?、それは運転しにくかったでしょう!!」
近藤さん:「うん、やっぱり、杉山君の案内よりナビの女性の声がいいね。」

落ちがつき、みんなで大笑いしました。

15:00 在京同窓会総会
第35回長崎西高在京同窓会記念総会(赤坂プリンスホテル)

おひとり先に帰られましたが女性の参加は6名でした。

いつもは十九回生は総会に5,6人の参加だそうですが当日は20名も出席されました。

出番を待つ蛇

←レトロな建物が気に入って
1枚!
※詳細の報告はこちらをごらんください。

18:30 二次会
十九回生だけの二次会は例年通り、銀座の「スペース・モモ」で行われ、なんと22人の参加がありました。
同窓会の案内状は2回出され、その2回目に「三浦さんが出席します」という文言が添えられていたということです。それで駆けつけてくださった方もいらっしゃいました。ありがたいことです。
2次会のためにマンドリン持参で来てくださった長野さん。→
お開きは21:30、朝食バイキングから実に13時間半の同窓会でした。
3次会にも行かずホテルまで送り届けてくださった近藤さん、杉山さんに感謝!!

●10月19日
埼玉→東京→横浜
朝から今度は山野さんご夫妻が朝食を一緒にしてくださいました。
このあとは十九回生から離れて、埼玉の越谷にオープンした巨大ショッピングモール、「レイクタウン」に行きました。
夕方東京へ戻り、今度は杉山さんが横浜まで送ってくださいました。
この日は甥の家へ1泊。

●10月20日
横浜→御殿場→羽田→長崎へ
お昼前、熊丸さんと近藤さんが横浜に迎えに来てくださり、「出発までは時間がだいぶあるから富士山でも見に行こう」ということになり御殿場までドライブしました。お天気が良くてちょっとだけ見えました。・

少し早めに羽田に行って昼食を済ませました。
杉山さんもかけつけてくださいました。

最後の最後までみなさんありがとうございました。

「どうしてそんなによくしてもらえるの?」といろんな方に言われました。ほんとうに心に残るすばらしい4日間でした。

2008年10月11日 長崎県人会が開催されました。
長野孝道
10月10日(金)、東京プリンスホテルで開催された「長崎県人会総会」に出席しました。
県知事の代行で、立石暁君が挨拶をしました。
朗々とした立派なスピーチでした。

また、東高OBによる「龍踊り」も披露されました。ホンマもんに負けないくらい上手でした。
あいにくデジカメを持参してなくて、携帯で撮影するしかなかったのですが。
龍踊りは、10月18日に開催予定の西高同窓会のアトラクションでもやってくれることになっています。
ステージ上の楽隊のラッパや、太鼓の音も本当のオクンチの雰囲気でした。
当然、「モッテコーイ、モッテコイ・・・」のアンコールで、何度も廻ってくれて東高のOBの皆さん、お疲れだったと思います。

2008年10月1日 もう2世が活躍する時代です。
熊丸秀和
昨晩(9/26)、森山君の一時帰国の歓迎会をやりました。

いつもの「飲兵衛達」が集まり、楽しい時間を過ごしましたが、突然舞台俳優として活躍中の息子の森山栄治君も参加してくれて、いつもとは又一味違う会合でした。(左写真の前列右から2番目,その隣は私の娘です。クリックすると拡大します)

彼の活躍はインターネットで[pnish]を検索すれば見ることが出来ます。

■森山栄治さんのブログ
pnish・・wikipedia

2008年9月27日 2つのコンサート。
三浦こずえ
長崎はコンサートとか、演劇とか都会ほどたくさん公演がないのですが、最近はできるだけ出かけるようにしています。
9月は3回もコンサートに行く予定でチケットを買いました。
私は階段の上り下りが出来ないので、指定席を購入した上で会場の車いすをお借りして、車いす席を利用させてもらいます。
下の二つはどちらも長崎市公会堂。
9/7 藤井フミヤコンサート
ある程度は覚悟していたのですが、4曲目ぐらいからでしょうかみんなが一斉に立ち上がりました。全く舞台は見えません。その後も終わるまで観客は立ちっぱなし。一番前の方が立ち上がるとそれが合図のように前へ習いします。
私の隣の車いすの方は重度の障害があるお嬢さんで、ご両親が連れてきていました。自分で首を動かすこともしゃべることも出来ない状態でした。

コンサートの次の日、思いきってコンサートを主催するテレビ局の担当者へ電話をしました。
「コンサートの時、スタンディングはある程度は必要なことでしょうが、車いすの人は全く前が見えなくなります。事前にアーティストの方と打ち合わせをしていただき、たとえば3曲立ったらしばらく座るとかできないのでしょうか?」
担当者の方は「申し訳ありません。」とはおっしゃいましたが、明確に改善しますというようなニュアンスではありませんでした。

9/26 夏川りみコンサート
会場の同じ場所へ案内されてびっくり!!その場所に高さ30センチぐらいの台が置いてあって、その上へ2人がかりで車いすを揚げてくれました。
最初はそんな高いところで恥ずかしかったです。でもコンサートの最後の方でみんなが立ち上がるのですが、その時も目の前は邪魔されず快適でした。
主催は同じテレビ局でした。わたしのお願いはちゃんと聞き届けてくださったんですね。

2008年9月22日 大事にしすぎました。
三浦こずえ
このアイボリーの「ungaro(ウンガロ)」のハンドバッグ」、たぶん数回しか使用していません。
白っぽいのは汚しやすいのであまり使用せず、箱に入れて洋服ダンスの中にしまっていました。
久しぶりに外出の時に持っていこうかなと思って出してきましたら、中の方がべたべたで使用できなくなっていました。
「うそー!!」
このハンドバッグを買ったお店にどうにかならないか聞いてみました。
「大事にしまっておかれたんでしょうね。空気の流通が悪い所に長く置くと皮がおもれた状態になるんです。それはハンドバッグをばらして、中張りを貼り直さないと治す方法はないんです。最低でも2万円はかかります。」という返事でした。
2万円出すなら新しいバッグを買った方がいいですし、かといって外側はきれいなままなので、そのままゴミにも出せないでいる私です。みなさんも点検を!!

2008年9月21日 西高関西同窓会総会のあとの2次会です
阪上幸男

左から廣田校長先生、
山本寛忠さん(8組)、
橋本卓さん(8組)
9月20日、関西同窓会の総会及び懇親会を久しぶりにリッツカールトンで開催しました。
少ない割には(総勢105名)、なかなか、盛況でした。
ご存知のように、関西同窓会では、山口修さんが会長、江川悟さんが副会長、阪上が事務局次長を勤めさせていただいております。
今日はそのほかに、橋本卓さん、山本寛忠さん、本土彰さんが出席しました。

左から宮城同窓会会長(長崎の会長
です。)
廣田校長先生、山本寛忠さん

左から大黒さん(29回生)、
佐藤先生(現西高教諭・40回生)、
宮城会長
本会の後、長崎から来ていただいた、廣田校長先生、同窓会事務局の佐藤先生、宮城会長、それから29回生の大黒さんを誘って2次会を開きました。
本会では忙しくて写真を撮れませんでしたが、添付の写真はそのとき撮ったものです。
(阪上はカメラマンなので写っていません)

左から、本土彰さん(8組)、
山口修さん(7組)、
江川悟さん(10組)

11月2日に長崎で開催されるの創立60周年記念同窓会は山口修さんと阪上が出席することになっています。
そのとき会えることを楽しみにしております。


2008年9月14日 在京メンバーに負けないように長崎も飲み会決行!!
三浦こずえ
東京から佐々木博司さんが又、里帰りされましたので、都合がつく4人で9月12日、「谷ぐち」で懇親会をやりました。
左の写真は1次会を終えて店を出る時にお店の看板の前で強引に谷口さんも引っ張り出して撮ったもの。
(左から谷口さん、三浦、佐々木博司さん、小林さん、古川さん、武次さん)
右は一般にはなかなか手に入らない銘柄の焼酎です。
すぐ下の在京メンバーのブログを見てください。
佐々木さんは義理堅いので在京の飲み会だけに持って行ってはいないと思ったんでしょうね、こちらにも皇室御用達の焼酎「二重橋」をちゃんと持ってきてくれました。
荷物になるのにありがとう!!
話題はいろいろでしたが、「今度の自民党総裁はだれになるだろうね、誰になったらいいかなあ!」と言った話題で盛り上がりました。

金曜日と言うこともあり、店主の谷口さんは大忙し。
小林さんがなんとか「二重橋」を飲ませようとしましたが、とてもそんな時間はありませんでした。

2008年9月3日 在京とーく会生の懇親会です。
熊丸秀和
10日ほど前、杉山君に「シマアジの御造り」を食べながら一杯やろうか?と連絡をしたところ、
「シマアジ?アジなんかいつでも食えるやろう?」との返事。

シマアジがどんな魚か知らなかったようで、これは是非、試食させるべきだと考え、9月3日に会うことに事にしました。

他の人も呼んでみようとの杉山君の提案で連絡をしてみた所、意外や有志者9名が集まりました。

(杉山君、金子君、桑野君、佐々木君、村山君、松永君、長野君、寺尾君、熊丸)
18:45開始の予定でしたが18:00頃から集まりだし、これはいつものパターン。
桑野君も着いたとたんにいつものパターンで
桑野君・・・・・「女将さん、何時もきれいだね。」
女将さん・・・・「有難うございます。」
桑野君・・・・・「着ているTシャツが。」
女将さん・・・・「・・・(^^);; ・・・・」
私・・・・・・・・・「(・。・;)オレノヒョウバンヲオトスキカ」
佐々木君が持ち込みの、宮内庁ご用達の焼酎「二重橋」を飲みましたが、さすがに味に品が有り、美味しく頂きました。
(品の無い村○君には不向き?)
(写真:右 本来は持ち込み禁止です)
佐々木君はご存知のように、TBS系テレビの【皇室アルバム】の専属カメラマンです。

このお魚が

こちらに変身!
ほぼ全員が集まった頃に、「シマアジの活け造り」が出てきて乾杯!!

「イセエビは食い飽きた(金子君)とか、これはザリガニだ(村山君)とかの声を無視し、イセエビのお吸い物で〆(シメ)て、後はいつもの写真撮影。
楽しい集まりでした。
 報告1 
 松永君の娘さん(松永江莉子さん)が漫画家と
 してフレッシュデビューしました。
 応援宜しくお願い致します。

 報告2 
 来月10月18日(土)在京同窓会が有ります。
 時間を取れる方達は是非ご参加をお願い申し
 上げます。
 詳細は別のページで詳しくお知らせします。
 こちらをクリックしてください。

 番外 
 佐々木君が11日より一週間の間、長崎に行く
 そうです。 

2008年8月25日 夏祭りに行ってきました。
三浦こずえ
毎年8月の最後の日曜日に行われる夏祭り「とっとっと祭りに行ってきました。
三菱長崎造船所とその労働組合が主催するものですが、誰でも参加できます。
場所は出島の県美術館の前にある「水辺の森公園」です。
友人2人とともに2時半ごろから出かけました。
木陰の涼しい場所を確保するにはちょっと早めにいかないといけません。
出店もたくさん出てますが、並ぶのが大変なのでクーラーボックスにビールを入れたりおにぎりなんかも持参して、飲み食いしながらおしゃべりしていると知っている人が集まってきてだんだん人が増えます。


毎回歌手も出演します。今年は「キム・ヨンジャ」さんでした。
昨年は「さだまさし」さんでしたので、この公園が4万人超の観客で一杯になったのです。
(なにしろ無料でコンサートが見れるわけですから。)

みんなのお目当ては9時ぐらいから始まる花火です。
対岸の台船の上から約40分間打ち上げられました。
片岡勝義さんの花火の写真ようにはうまくいきませんでしたが、私も三脚を構えて花火の写真を撮って来ました。

この花火を見るために7時間も公園にいたわけです。
「好きねー」と言われそうですが、私の努力を買ってください。

夏祭りとあって、子供連れの家族がたくさん来てました。
こんなとき皆さんいいお父さんしてるんですね。

ずっと見てたらこれを主催する社員の方は、みんなが出すごみとの闘いでしたよ。たぶんあとかたずけは夜中までかかるでしょう!しかも明日は月曜日、仕事だ〜!

2008年8月15日 長崎の精霊流し
三浦こずえ
今日は8月15日。長崎は精霊流しの日です。
県庁坂や大波止にはとても行けませんので、家の近所の精霊流しを見て来ました。
私の家のあたりでは大波止まで流しに行く船ももちろんありますが、たいていは松山町の陸上競技場まで引いていきます。爆竹の音におびえながら写真を撮って来ました。
私が住んでいる城山町「平和通り自治会」の精霊船です。
今年亡くなった方の名前が数名分書いてあります。
町内の方が自分の家のお供えも乗せてもらいに来ています。
七時半になったら出発です。
チンコンチンコンドーイドイ!
こちらの写真は隣の竹の久保町1丁目の船です。西高の裏門のところに「竹一公民館」というのがありますよね。覚えてますか?
←大きな精霊船ばかりではありません。このような小さな船がかえって胸にジーンとくるものです。

↑各家の軒先にはこのように家紋や名前がはいった提灯が下げられています。



今年は長崎で約3800隻の精霊船が流されたそうです。






↓今年初盆ではない家では、お供えをこのような「こも」の中に入れて流しに行きます。


2008年7月28日 マンドリン演奏会に行ってきました
杉山量良

左から
杉山さん夫妻・長野さん・八木さん夫妻
長野君

今日のアンサンブル・モニカ定期演奏会の件、妻と同行で聞かせていただきました。
会場では八木ご夫婦も来られており、一緒に記念撮影させていただきました。ありがとうございました。

会場はほぼ満員。
マンドリンの演奏会を聴いたことは初めてだし、新鮮でした。
第1部での「人魚」が感動ものでした。演奏中にナレーションがあったり、澄んだソプラノがあったり、ピアノやパーカッションまでついて、まるでドラマを見ているようでした。
最後の人魚が「海の雫」に消えるところは胸に来る感動を覚えました。 杉山
第2部は益田正洋氏のギター演奏。

スパニッシュ風の服装もさることながら、フラメンコタッチのギター捌きに会場は息を飲んで聴いていました。
彼が長崎市出身で長崎大学出身というのが、驚きでした。

アーティストなら、XXX芸術大学卒業のはずなのに、普通高校と長崎大学でしょう?
驚きましたよ。経歴から察すると、まだ30歳。若くて伸び盛り。
期待したいですね。 杉山
 杉山さん、八木さん

 昨日は蒸し暑い最中、お越しいただいてありがとうございました。
 「人魚」という曲は物語風に進んでいくので分かりやすかったと思います。
 演奏している私たちも悲劇的な最後の方では、ジ〜ンと来るものがあります。

 益田ギタリストは長崎大学経済学部出身ですが、高校は残念ながら、東高なんです。
 
彼がまだ在学当時から「ながさきマンドリン」のステージには賛助出演をしてくれていましたが、 今やバリバリのプロになりました。練習後の飲み会では、ダジャレ連発の気さくな男です。

 三浦さん ついでながら、11/23には川棚町公会堂で全国大会があります。
是非、車をすっ飛ばして、聴きに来てくださいね。

 熊丸さん、近藤さん 次回の演奏会(9/20)には来てくださいね。  長野
 ナレーターと、ソプラノがマイク音声だけで、90%がアコースティックな演奏会でしたね。

ギターソロも良かったけど、マンドリンも、何十年とやっていれば 『ああなる【完璧】』 のですね。
心の落ち着く、また 演奏の途中でふっと別世界に引き込まれてしまうような演奏会でした。

PS:ソプラノ歌手は、あんなにきれいなドレスを着てきたのに、舞台が狭くて裏で歌っていたのでしょうかね。  八木

八木君が座ったのは正面だったので、見えなかったようですが、私の席からはばっちりでした。

カーテンとカーテンの間に立っていたので、見えなかったのでしょうね。
私のところからは正面に見えました。

きれいな澄んだ声で、聞きほれました。
きれいなのはドレスだけではなくて、スタイルも、そしてお顔も・・・・。

指揮者の隣とか、エレクトーンの隣で歌っても良かったのに、残念でしたね。 杉山 

2008年6月24日 母校の写真ありがとうございました
山崎二郎(36回生)
西高OB、36回生の山崎です。
先日は母校写真の提供有難うございました。
お陰様で本日福岡同窓会も無事終え、会場入り口に設置した写真のパネルも好評でした。
半分くらいは三浦様から頂いた写真です。
今後とも宜しくお願いします。
19回の発展を心から祈願いたします。

※先日36回生の山崎さんよりこのHPをご覧になり、現在の西高の写真を提供してほしいという要望がありました。
そこで私が母校に出向いて写した写真を福岡同窓会総会の開催のために提供いたしました。 (管理人)

2008年6月15日 網走へ行ってきました!
長野孝道
退職のごあいさつ
5月26日をもちまして、37年間勤務いたしました、日本IBM株式会社を退職いたしました。
今後は微力ながら、これまでの経験を社会に役立てるよう努めてまいりますので、一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。(長野さんから頂いた挨拶状からの抜粋。)

網走にいる(といっても塀の中ではありません)友人を訪ねました。
屈斜路湖へ向かい、その後、本命の摩周湖も見てきました。

屈斜路湖

屈斜路湖
網走監獄博物館にも行って、監獄飯を食べました。(左)

(米:麦=7:3のヘルシーな食事ですよ)

摩周湖

摩周湖

摩周湖

2008年6月15日 「平和と文化の子供展」
宮本貞博・はるみ
"平和と文化の子供展"が昨日 NBCソシアホールにて盛大にオープンしました。
立石副知事、田上市長ほか多数の来賓が出席され副知事と市長が挨拶されました。
 
なんとその場に 同窓会の司会をされた宮崎牧子さんが来賓として見えられていて驚くやら、嬉しいやらで臨時のミニ同窓会となりました。
立石副知事も、西高の同窓生となると顔がほころびがちでした。

立石副知事(左)、宮本さん(右)
宮崎牧子さん(左)、立石さん(右)
右二人が宮本夫妻

2008年6月11日 キリシタンの里探検
三浦こずえ
杉山量良さん、近藤秀二さん、八木研吉さんが帰省されました。6月7日の夕方から「料亭花月」で開催される長崎大学付属中学校の「還暦同窓会」出席のためです。
夕方まで時間があるので、付属中出身ではない私と、長崎在住の小畑洋子さん・東京からいらっしゃった東高出身の末永さん6人で半日「外海ドライブ」に出かけました。


「夕日が見える丘公園」
これからキリシタンの里を探検に出かけます。まだ夕日の時間じゃありません。

ガイドをお願いした松川さん。彼自身が隠れキリシタンの子孫で、今回のドライブはこの方なしには成立しませんでした。

キリシタンを詮索するために建てられた「天福寺」。狭い道をくねくね行った奥の奥にありました。


お寺の帰りに見かけたかわいい忍者です。

ものすごく狭い山道を見事なハンドルさばきで運転してくださった八木さん。ほかのだれも代って運転しようとしませんでした。

キリシタンを奉った「枯松神社」日本でも数か所しかないそうです。


「枯松神社」の登り口にあるお墓。「松下」、「松尾」、「松川」ほとんどの苗字に「松」がついています。ガイドさんもそうでしょう!

近藤秀二さん

八木さん、近藤さん


バスチャン屋敷跡

地域住民の生活向上のためドロ神父は原野2町歩を買い求め、17年をかけて耕作地を開墾しました。
後ろ向きですが、小畑洋子さん


ここはドロ神父が実践した農業振興活動を今日に伝えるレンガつくりの遺構です。

ドロ神父の設計で大野地区26家族のために建てられた「大野教会」

石を積み上げた小さな教会ですが、石の壁がとても美しいのです。


ガイドの松川さんとお別れして、ちょうどお昼になりましたので「日浦亭」というレストランに入りました。

もちろん全員「ドロ様ソーメン」食べましたよ。

半日ドライブはもう終わりです。
皆さんは、このあとの同窓会も楽しみですね。
長崎に住んでいてもなかなかここまで来ることはできませんでした。みなさんに感謝!!

2008年5月18日 両国「北斎通り」
長野孝道
今日(5/17)はマンドリン合奏の練習日です。
ご存知のながさきマンドリン・オーケストラ(NMO)ではなく、"アンサンブル・モニカ"という合奏団です。
私以外のNMOメンバーも参加していますが、長崎出身のギタリスト益田正洋を中心にした合奏団です。

国技館 表
両国国技館は、夏場所の真っ盛り。
正面玄関には幟が満載で、建物が見えないくらいです。

国技館 裏
今日の練習場はここから15分ほど歩く、亀沢三丁目町内会館(通称カメサン会館)です。
国技館の裏手を抜けて、江戸東京博物館のそばの並木道を通ります。
国技館も裏から見るとなんてことないですね。

江戸博 裏
今日の東京は夏を思わせるお天気で、木陰を通るとホッとします。

この小道を抜けて、大きな通りを突っ切ると、JR総武線に沿った道路が続きますが、
これが『北斎通り』です。
この通りの街路灯にはすべて"北斎ギャラリー"と銘打った絵がついています。
亀沢1丁目

地番としては亀沢一丁目から始まってます。
亀沢2丁目

 次は亀沢2丁目ですね。このまま真っ直ぐいくと、錦糸町です。
正面に見える大きなビルの先が墨田トリフォニー・ホールになります。
  もうちょっとで、亀沢3丁目です。あ〜疲れた。 


2008年5月18日 「Chair-One」 お気に入りのイス買いました
三浦こずえ
2階の私の寝室に、家を建てた時に買った二人掛けのソファがありました。
もう購入して35年もたち、さすがに薄汚れてきましたので、先日長崎市内の小さな家具屋さんで見つけた一人掛けのソファを買いました。これは日本製です。

ファブリックですがカバーがすべて取り外して洗えるし、座り心地もよかったのでこれに決めました。
でも、もともと二人掛けのソファがあった場所なので、置いてみるとなんかバランスも悪いし寂しいんです。

「もう1個同じものを買おうかな?」とつぶやいたら
母が、「だれも来ない部屋にもったいない。」と言いました。
でもその家具屋さんにまた、ふらっと寄ってみたんです。

この赤いイス、前から気になっていたんですがアルミで出来ていてクモの巣のようなイスです。

「別に座るわけではないのでオブジェとして置いたらどうかな?」
これはイタリア製です。値段がね〜!悩むことほんの15分。

「これも出会いだ!」と思って「買います!」と言ってしまいました。
全く違う種類なのに置いてみると結構いい感じなんです。
白いソファには洋服の余り布でカバーリングしてみました。
紺地に白のペーズリーの柄です。
ほんとに私が寝るだけ、母が洗濯を干すのに通るだけの部屋なんです。

でも今は「この部屋にだれか遊びに来てくれないかなあ!」と思っています。

気に入ったものに囲まれて過ごすのって、小さな幸せ感じますよ。

2008年5月17日 「長崎ランタンフェスティバル」太極拳演技
早乙女佳子
「長崎ランタンフェスティバル」は長崎で2月に行われるお祭りです。

このお祭りは、長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もともと「春節祭」として長崎新地中華街を中心に行なわれていましたが、平成6年から規模を拡大し、長崎全体のお祭りとして、冬を彩る一大風物詩となりました。

今年も2月9日から21日まで行われました。私は毎年「太極拳」の演技で出演しています。報告が少し遅くなりましたが、その時の様子をご覧ください。

一緒に演技しているのは6組だった佐々木國男さんです。

2月16日、天后堂前にて

2008年5月6日 「森山君の一時帰国にかこつけての飲み会」
熊丸秀和
4月30日、[森山君の一時帰国にかこつけての飲み会]を行いました。
<一次会参加者 14名>
長野、森山、山口、寺尾、村山、金子、福井、近藤、
濱本、佐々木、上原、八木、杉山、熊丸
<二次会参加者 8名>
長野、森山、山口、寺尾、村山、金子、杉山、熊丸
恵比寿に在る[どんく]という居酒屋にて行い、集合時間の10分前には、今回幹事役の金子君以外はほぼ集まり、最終的には結局14名の参加でした。
数日前、長崎に行っていたと言う佐々木君も参加してくれて、いつものように大盛り上がり。飲み放題と言う訳でもないのでしょうが、酒の量が進み、焼酎[壱岐]が店に無くなり、店長が急遽酒屋に買出しに行く・・・というハプニングもありました。推定ではボトルで7〜8本(もしかしたらもっと?)は飲んでいたのではないかと思います。(そういえば、先日の長崎での飲み会でホームページに写っていた焼酎も[壱岐]でしたね)

恵比寿駅で解散するはずだったのが、幹事の金子君が二次会をやろうと言い出したのをきっかけに[カラオケルーム]のチラシを配っていた女の子の案内で8名が千鳥足でカラオケ店に。[長崎]の付いた歌を片っ端から歌って、疲れて来たところで解散、帰宅となりました。

2008年5月6日 「ハタ揚げ大会」
熊丸秀和
4月29日は多摩川の河原で行われる恒例の[ハタ揚げ大会]に行ってきました。
東、西、南、北は勿論の事、ほとんどの在京の高校の幟(のぼり)が有り、それぞれが思い思いの場所に陣取って、友好を深めているようでした。
翌日確認したところ、杉山君、福井君、長野君たちが来ていたとの事でしたが、会えたのは長野君だけでした。(下記の写真)

2008年4月22日 「長崎に里帰りです」
佐々木博司
4月18日から23日まで休暇を取って故郷に帰って来ました。
最初の日は恒例でハウステンボスに1泊しました。
長崎市内に両親が健在です。
21日浜口町の「谷ぐち」でとーく会のメンバーと一杯やりました。
◆飲み会メンバーの会話◆

「もう窓際族です!」

「僕は窓もありません。壁際族です!」

「崖っぷちじゃなくてよかったですね。」
◆ 管理人から佐々木さんへの質問 ◆

-皇族方を撮りに伺う時はスーツで伺うんですか?-

<佐々木さん> 「もちろんです。」

-愛子様を撮られるときは「愛子様、笑ってくださーい。」とお声がけしたりするんですか?-

<佐々木さん>「いいえ、お声がけはしません。」

(ですか〜!ですよね・・・)

2008年4月22日 「平成国際大学訪問」
杉山 量良
平成国際大学の教授をしている松永敏君(6組)のところへ熊丸君と訪問しました。
(リクルート活動の一環です)
イギリス風のキャンパスに学生たちが、いくつかの輪を作り、笑い声が聞こえていました。
その後、2人が行ったことがあるという権現堂川の菜の花公園へ行きました。
甘い香りが公園一杯に広がり、幸せ気分にひたれました。
最後はもちろん、食事会。松永君お勧めのピザは世界一の美味しさでした。

2008年4月19日 「MMM JAPAN 30周年記念リサイタル in長崎」 
田辺(杉山)美知子
MMM JAPAN 30周年記念リサイタル in長崎

  と き:2008年4月27日(日)
      17:15〜18:15
  ところ:長崎ブリックホール(長崎市茂里町)
       2Fリハーサル室(練習室)
  無料です。
もうMMM(マーガレットモーリスムーブメント)を始めて30年たちました。
毎年イギリスからトップの指導者ジム先生を始め、長崎でMMMを広めたソニア先生(ポルトガル)やイギリスから8名の仲間を迎え、長崎でもリサイタルを開きます。
私は上記写真の「まほろばの里」のパートU「まほろばより たわむれ」を踊ります。
是非見に来てください。

(※田辺さんは兵庫県加古川市にお住まいです。西高時代は体操部でした。)

2008年4月18日 「はやぶさ日記」 
阪上 幸男
 奈良市在住。泉大津で勤務すること12年目の阪上です。
今年も泉大津のハヤブサが子育てに挑戦。3月はじめに4個の卵を産んで温めていました。
この4月5日から8日にかけて4個全ての卵からヒナが誕生しました。
これから、ヒナの成長のために親たちが大忙しで、獲物確保に飛び回ることになるでしょう。

4月5日に1番ヒナが誕生して8日に4羽がそろったハヤブサの写真を数点送ります。
無事に育ってくれると、5月中旬には4羽のヒナが巣立ちを向かえ、私が管理するビルの周りを飛び回る姿が観察されます。
今から楽しみにしています。
 
毎日、観察日記をUPしているホームページを覗いてください。
 http://www.ne.jp/asahi/hayabusa/izumiotsu/

新聞に掲載されたハヤブサの記事はこちらをご覧ください。
 2008年4月8日 毎日新聞
 2008年4月16日 産経新聞

2008年4月18日 「1688本のネガ」 
三浦 こずえ
お正月気分もそろそろ抜けようとする1月14日、父が脳梗塞で倒れました。82歳になるまでほとんど病気知らずで、どこにでも自転車で走り回る元気な父でしたので、こんな風な形で倒れるとは想像できませんでした。

幸い大きな血管は梗塞を起こしていなかったので、体のマヒはほとんど残りませんでした。しかし「高次脳機能障害」と診断されました。これは記憶障害、コミュニケーション障害、遂行障害などがあり、人の名前とか少し前にやったことなどもほとんど覚えていることができないという症状です。

父が愛用しているニコンのカメラ
「デジカメなんかはカメラじゃない。」と
言ってた父です。

父は退職後、もう26年ほどボランティアで、少年ソフトの世話をしていました。
写真を撮ることが好きでしたので、試合があると、どんなに遠くの試合会場にも自転車でカメラを持ってかけつけ、子供たちの写真を撮り続けました。

それをアルバムに収め、メンバーの家を回覧し、希望の写真を焼き増して渡すということを四半世紀以上やっていました。
チームの父兄の方は、「自分たちは最初からカメラなんか持っていかなくても済みました。」とおっしゃってくださいました。

このネガを2個の段ボールにびっしり
入れました。
もうこれからはそんな事が出来なくなると思いますので、先日父が今までに撮った写真のネガを整理しました。
いつも机の上が写真やネガで溢れかえっていましたので、「ちゃんとメモしとかないと後でわからなくなるんだけどな。」と私は密かに心配しておりました。
しかし、見てみるとすべてのネガに通し番号が振ってあり、撮影日と試合の名前、場所などが全部書いてありました。
なんとその数、1688本にのぼりました。ある日の試合など、たった1日で20本のフィルムを使っていました。
その膨大なネガを、1週間ほどかけて順番通りに段ボールに収めました。
1689番目のネガはもうないかも知れないと思うと、すこし寂しい感じがします。

2008年4月16日 「ハーベスト聖地旅行」 
杉山 量良

テルアビブ=近藤君とテルアビブで
地中海を背にして
近藤君と旅行してきました。

期間=2008.2.27〜2008.3.7
参加者=48名(牧師5名、クリスチャン38名、未信者5名)


10日間の長旅でしたが、クリスチャン同士なので、互いに仲良く楽しく過ごせました。
 (杉山は未信者ですが・・・)

キリストが磔されたところ
キリストが死刑判決を受けて、磔場所まで歩いたコースを歩きましたが、感動ものでした。

イスラエルへ行くなら、教会主催のツアーがお勧めです。

なげきの壁

死海
週刊誌を持って入りました。

浮くのは簡単ですが、週刊誌を読むのは大変でした。



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