列福式とは

1.沿革
1981年に当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が長崎を訪問した。 その際、「殉教した人たちを福者に!」という嘆願運動が盛り上がったことがきっかけ。
 ヨハネ・パウロ2世はご存知の通り、平和への願いを常に持たれた方です。それは、この日本訪問でも同じでした。 片岡千鶴子長崎純心大学長や結城了悟神父の努力により、5万人に及ぶ殉教者を調査。その結果、2007年にローマ法王庁に列福が認められました。

2.列福の人たち
今回の列福の人たちは全部で188人。このうち、司祭は4人。 日本人で始めてエルサレムを訪問したペトロ岐部、天正遣欧使節の中浦ジュリアンらであり、 後は名も無き人たちです。この中には、家老や高級武士もいるが、女・子ども、そして、奉公人もいます。名前も分からない、性別もわからない人もいるのです。

3.聖者と福者
信者の尊敬を集め、信仰生活の模範にふさわしいと認められた人たちのことです。日本はこれまで、1597年に豊臣秀吉によって処刑されたパウロ三木らの26聖人(1862年列聖)と1633〜1637年に長崎で殉教したトマス西らの16聖人(1987年列聖)の計42人を聖者と認めてきました。 また、福者としては、1867年に列福した205人がそうです。これらの人たちは、ローマや修道会の主導で進められ、 外国人司祭や男性指導者が殆どでした。しかも、ローマにおいて行なわれました。
今回は全員が日本人。しかも、ルチア黒金のように1歳の乳飲み子まで列せられたのです。