26回生よりの手紙

下記文章は2007年9月4日に26回卒の鈴田紀厚氏より管理人宛てに、いただいたメールで す。
その内容にとても感激いたしましたので、鈴田氏の了解を得て掲載させていただきます。
この文で草野先生の偉大さがまた良く分かると思います。
又、最初に草野先生の追悼のためにご自分が書いた文章を提供していただきました、遠山 博文先生にも読んでいただきました。その遠山先生より鈴田氏宛てのメールも掲載していま す。

鈴田紀厚氏→このサイトの管理人
 19回生の先輩管理人様、はじめまして、こんにちは。

私は26回生の鈴田紀厚(すずたのりひろ)と申します。
何気なく西高関連のコンテンツを渡り歩いていて、こちらに辿り着きました。

お世辞抜きに、西高同窓会HPの中で最も内容豊かで、心のこもったホームページに感動 しました。

私達26回生当時も、19回生の先輩方の恩師が多数いらっしゃった事も、このHPで確認 出来て嬉しい思いでした。

…と同時に、私の人生の方向を決定づけて下さった恩師の草野正一先生が2006年夏に 逝去なさった事、このHPで今日はじめて知りました。

草野先生の実直厳正な研究者肌に影響を受け、私が地理学(地形学)分野へ進むきっか けが草野先生でした。
同級生の女の子に、もう一人草野先生に影響を受けた女子がおり、2人が西高から東京の 地理学専門コースが有った大学へと進みました。

草野先生は「教育学部の教員養成課程ではキチンと地理学を学べないから、専門学科の 有る大学へ行け」と仰って下さり、母の反対(金銭的?)を押し切って東京の私大へ進みま した。

当時は、お金がかからない国立大学は奈良とお茶の水(共に女子大)しか地理学科が無 く、私は駒澤大学、もう一人の同級生女子は立正大学で、当時の日本地理学会で活躍の 草野先生ならではの情報網から、大学の研究者一覧のような資料を作って下さいました。

草野先生は、私達2生徒に「自然地理学をヤリたかったら東京大学一門の教授陣が揃って いる駒澤大学、人文地理学をヤリたかったら東京教育大学一門も立正大学」と担任でもな く進学指導でもないのに、私達2人の為に熱心に導いて下さいました。

そのおかげで、素晴らしい教授陣に囲まれた環境を、草野先生から恵んで頂きました。

結局、大学での学問は活かせないまま、長崎にUターンして参りましたが、5年ほど前偶然 に長崎大学図書館でお目にかかり、「草野先生では?」とお声がけし再会いたしました。
その直後、先生は私たち2人に自費出版の地名総覧を送って下さいました。

書籍のお礼も兼ねて、西高同級生2人組の不肖の弟子が、先生の御自宅へ伺い奥様と共 に談笑したのが、最後になってしまいました。

「在庫も少なくなったし、今のうちにお前達に贈呈しとかんば、 後悔する気のするとさなぁ …」とポツッと仰っていました。
「他の人に贈呈しても、この書籍を使いこなす能力は無かし、使いきらんやろう・・・ お前達 だったらちゃんと使ってくれそうだから…」と、相変わらずの毒舌も。

今日、このHPのおかげで(?)草野先生の御逝去を知る事になったのですが、今思えば 「後悔する」とか「お前達だったら」とか言う言葉の重みを、今日になってヒシヒシと感じると ともに、言葉にはお出しになりませんでしたけど「不肖の弟子」として可愛がって下さったの だなぁと思います。

西高同窓会のどのページにも掲載されてなかった事を、こちらで知る事が出来て、ありがと うございました。

私は現在失業が長く、すぐと言う訳には参りませんが、草野先生の墓前に手を合わせに行 こうと思いました。

HP掲載用の近影写真が無いとの事ですが、どこかに有ったと思います。
わかり次第、連絡差し上げます。

私の自宅は深堀先生(数学)宅と30メートル位の距離です。
19回生の先輩方も御存知のように、私達26回生当時も「ジャンピングビンタの深堀」とし てオッカナイ深堀先生でしたが、毎日のように外出なさるお姿もシッカリしておられこちらで 見せて頂いたように、先生はいつもお元気です。

またブラスバンドの顧問をして頂いた森先生(国語)や田中哲人先生はじめ、26回生と共 通な先生方多数の「その後」拝見させて頂いて、ありがとうございました。


   鈴田 紀厚 拝


遠山博文先生→鈴田紀厚氏
 鈴田紀厚さま
 
 昨日長崎西の19回生の同窓会があり、三浦こずえさんからあなたのことを聞きました。
あの草野先生の紹介文を書いたのはわたしです。事前にいい供養をしたと思っています。 あなたたちの進路をその大学に誰がいるか、どのように教育が行われているカという観点 からされる先生はほとんどいない中で、彼は稀有の人でしいた。いい先生に出会われたと 思います。

 わたしにとっては彼は兄のような方でした。礼儀作法や教育の姿勢を厳しく教えてくれま した。時々飲みもしました。私が退職した時、『一月に一度は飲もうよ』という誘いがありま したが私のほうが多忙でその誘いに乗ることが出来なかったことが悔いられます。

 あの大冊の本を正しく評価する(できる)人が多くはいないのが残念です。
あなたたちはその少ない評価者でしょう。私は大学で言語学を専攻したのでよく理解できま す。
遠山博文  


鈴田紀厚氏→遠山博文先生
遠山 博文 様

はじめまして、26回生の鈴田紀厚(すずたのりひろ)と申します。
ご丁寧なメールを頂戴しまして、痛み入ります。
 
頂いたメールを拝見して、19回生同窓会HPへ寄稿なさったのが遠山様である事と、遠山 様の寄稿がなかったら、草野先生の件も、ずっと知らずに過ごしておりました。改めて、感 謝申し上げます。
 
三浦様からもお聞きになられた通り、偉大なる恩師の逝去を、ある意味で 「弟子」のよう な、私達男女2人が知らなかった事を恥じ入るばかりです。
 
弟子の2人組は、地理学科卒業間際に高等学校教育カリキュラムが大幅改訂になって、 地理・地学が選択科目で、今後は一切教員採用が無いと言う大学生時代でした。

結果的には地理学を活かせる場が無く、民間企業に進んだ訳ですが、やはり「草野魂」は 抜けきれず、社会人になっても論文や地形学の書籍などを読みふけり、東京から長崎へU ターンして、たまたま長崎大学図書館で草野先生???とお声をかけたのが、再会のきっ かけでした。
 
お声がけ後、あの大著が突然届きました。
私には、駒澤大学で自然地理を学ばせて頂くきかっかけを与えて下さり、同級同組の女生 徒には、立正大学で人文地理を学ばせて頂くきっかけを授けて下さった草野先生から、大 著は2回目のプレゼントでした。
 
草野先生へお礼を兼ねて、ご自宅まで2人で伺い、談笑時に「在庫も少なくなったし、他の 人に贈っても使いこなしきらんやろう…」
「今のうちに、お前達に贈呈しとかんば、後で後悔する気のするとさな…」とはにかみながら 仰ってました。
 
その時は、単なる談笑の会話でしたが、遠山様が寄稿して下さったHPで先日はじめて、ご 逝去を知り、「お前達だったら」とか「後悔する気が…」と言う言葉の重みを、今更ながらヒシ ヒシと感じておる次第です。
 
決して口に出しては仰いませんでしたけど、『(不肖の)弟子』として遠くから可愛がって下 さっていたんだなぁ…と、今さらながら涙です。
 
と、ともに、こうやって遠山様の事を知る事が出来たのも、これまた草野先生が私に天国か ら与えて下さった、3回目のプレゼントだと思いました。
 
現在、私は失業状態が長く、草野先生の墓前にすらお参りに伺う事が出来ない、お恥ずか しい身の上です。
 
どうか、これを機に、今後も先輩の遠山様と懇意にさせて頂ければ心から嬉しい思いです。
 
面接で何度も落選しておりますが、いつの日にか、職が見つかりましたら草野先生のもと へ、手を掌わせに参ります。
 
草野先生の事を、よく御存知の遠山様とも、ぜひその暁には、お食事でも御一緒させて頂 ければ、天国の先生も「俺が旅立った事をお前達に教えてくれた遠山さんに、失礼なことが 無いようになッ!」と厳しい顔の中にもニンマリと笑顔で、見つめてくれている、そんな気が いたします。
 
今後とも、おつきあいさせて下さいませ。 
鈴田紀厚