下記2冊は先生が書かれた本で す。2冊とも週刊誌的な興味の対 象になるものではなく教育的見 地、また文学的見地からお書き になったものです。
●山崎俊介先生の経歴

旧制瓊浦中学校→県立東高→京都大学復学(1年)→長崎西高(20年)→壱岐高(2年・教頭)→
西彼杵高→養護学校(校長)→予備校

京都大学に復学したのは自分の実力を試したかったからです。
しかし、戦争中で食料難になり、学生も各地に分散させられたので、大学を続けることは出来なく なり、教職に復帰しました。その時西高に教職のあきがありそれから20年勤務したわけです。

  

●あのころの西高卒業生のちょっといい話

昭和39年4月に県立長崎北高が開校しました。(ちょうど十九回生が西高に入学した年です。)
その3年後、北高生の始めての大学受験が始まりました。でもどの大学にも先輩はいないわけで すね。
受験の日、九州大学に進学した西高卒業生は「西高生頑張れ!!」というプラカードとともに「北高 生頑張れ!!」というプラカードも作って北高の受験生を励ましたということです。

●西高での思い出

西高ではあんまりクラス担任をすることなく十九回生在学中は生活指導担当でした。
しかし、生徒にそれほど手を焼く子はいなかったように思います。

息子が西高に入学した年、「さてこれからは息子の教育も頑張ろう!」と思っていた時に壱岐高校 への転勤を命じられました。やむなく息子も連れて壱岐に赴任しました。息子は私が壱岐から戻っ たときにまた西高に復学しました。

●近況
  
・5時起床
・10分間ニュースを聞き
・庭で5分間体操
・新聞を読み
・8時に朝食
・その後は読書、テレビ観賞
・1日に1回必ず歩きます。
これは昭和34年から毎日続けています。自宅から30分までのところに行き、そこから戻って きます。でもお天気や用事で歩けない日もあるわけですね。
ある年、1年間に何日歩いているだろうかと思い、記録をしました。
そうしたら339日/366日(うるう年)でした。
1年に27日も歩いていない日があったという事で少し反省しました。

●同窓会
 
今年の5月に学生時代の同窓会をやりました。
30人の同級生のうち10人が生存し、そのうち病気などで出席できない人を除いて6人が出席しま した。年々、出席できる人が減っていくことがさみしいですね。







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