長崎西高とーく会同窓会の「Special Event」として企画された、「とーく会さるく」
は、同窓会幹事の島崎美知子さんが、実際にさるくガイドをやっているということで、
島崎さんにお願いしました。
長崎に住んでいても、長崎で高校生まで育った方も意外と知らない長崎の街歩き。
お腹が空いても夕方からはご馳走も待っているし、日頃の運動不足の方も、きっと
楽しかったと思いますよ!
(杉山量良さんの報告でお届けします。)
私たちの年齢を考えて計画された
さるくコース
1. 期待していなかった「さるく」。
「久しぶり〜 やっぱり長崎は良かね〜!!」
と
「さるく」
のイベントに参加した。
だが、出島とか大浦天主堂とか、何度も行ったことのあるところばかり。
あまり期待した「さるく」ではなかったが、実際に歩いてみて以外と知らないことが多いのに驚かされた。
そして、何よりも驚いたのは大きく変わろうとしている長崎を知ったことだった。
2. 素敵な女性が立っていました。
「昼食は済ませて来てください。」とのことだったので、村山君と観光通り入り口で待合せて「松乃
家」に入る。「うどん出汁」の味の懐かしさと「押し寿司」の形の懐かしさにしばし感動。
村山君は「天婦羅うどん」と「具うどん」の2杯。「いなり」と「押し寿司」を2個ずつ、計4個。明らかに2
人前をぺろりとたいらげ、
更に注文しそうだったので、「時間がないから。」と、店を出た。
集合場所は
「長崎県庁裏門前」「観光バス乗降所」
とある。両方とも知らないところだったが、見当を
つけて、目的地へ向かう。
集合時間の15分前くらいに到着。
黄色のポロシャツを着た上品そうな女性が一人心配そうに立っていた。
すぐに島崎さんだと知れた。
「緊張しているのよ。ちゃんと説明できるかしら。」と、不安そうにおっしゃる。いかにもボランティア。
その素人っぽさが可愛い。
寺尾君から電話が入り、「父が急遽、入院になった。付き添わねばならないので、さるくは欠席」との
こと。
管理人(三浦)もお見送りと県美術
館の屋上庭園まではお付き合いで
きるかなと思って行ってみました。
島崎さんはここで早くから待ってい
てくれたようです。
そのことを島崎さんに報告すると、「どうしよう。もう、お金は払って
あるし・・・」と言う。
「大丈夫!彼からちゃんとお金はもらう
よ。」と、言っていたら、金子君が急遽飛
び入りしてきた。
島崎さんの心配は杞憂となり当初予定
通り15人で出発。
最後の一人も5分遅れで息を切らせて走ってきた。この歳で息切
らせて大丈夫かと心配になる。
三浦さんも心配だったのだろう、顔を出してくれた。
3. 車に轢かれそうになりながら。
旧朝永病院
の建物が懐かしい。「昔はここまでが出島でした。」との説明。見ると、道路の真ん中に鋲が打ってある。
その鋲を確認しようと全員が道路の真ん中まで出てきて、確認している。車の往来が激しい道である。
運転手から明らかに嫌な顔をされながらそれでも全員が鋲を確認。
出島入場となった。高校の頃はまだ、民家ばかりだった。それが出島公園として、小さなミニチュアの出島ができ、その拡大とともに、出島の
復興も遂げてきた。
出島の復興も戦後長崎の歴史と重なっているようだ。
いつ行っても建物工事をしている。今回も広い範囲で復元工事をしていた。
「出島は昔はここから14メートルも先にあったんです。それを、川幅を広くするために削られて今のようになりました。」と、言う。
大量の中島川の水を流すために出島を削ったのだ。絵にあるように、昔、遊女が通っていた橋は短かった。
おおきな川と短い橋の矛盾を不思議と思わなかった自分の愚かさに気が付く。
島崎さんが
「オランダがナポレオン戦争で国そのものがなくなったとき、世界で唯一ここだけがオランダでした。第二次世界大戦の賠償責任
の話しが出たとき、オランダからこの出島を整備するという約束で安くしてもらった。それを裁判が終わった途端に忘れてしまって、放置してし
まったんです。」
と言う生々しい話しが面白かった。
出島を出て、
「昔の出島はココまででした。道路の色が違うのでおわかりと思います。」
と、ここでも、道路の真ん中まで出てきて説明。
だが、流石にこちらは道路も大きいし、電車も走っているので、眺めやるだけ。
4. 水辺の森公園も歩くの?
道路を渡って、
出島ワーフ
へ。
「ここは昔、上海航路用の鉄道が走っていました。」との説明に、全員が「そうだ。そうだ。走っ
ていた。」と、大きな車輪を見て懐かしげにうなづいていた。
そして、「昔はあの辺でおくんちもしよった。木下サーカスも来よったばい。」と、いきなり、懐
古の話しに全員が飛ぶ。
小学校4年の時に「お化け屋敷」に入れなかった自分が懐かしい。
出島ワーフは20年ほど前に同窓会をやったのに参加した記憶がある。
月川君や池田君が隣に座った。
高校卒業以来20年ぶりに再会しても寂しさを感じなかったのが不思議だった。
上海航路用の鉄道の跡
突然、島崎さんに電話。三浦さんからだ。「先に県立美術館で待っている。いつ来るの
〜?」とのこと。
彼女も同窓会の準備があるのに駆けつけてくれた。時間が迫っていたので心配していた
のだろう。
「県美術館」
に着いた。
県美術館は高校卒業してしばらくして立山にできた。入り口が大きな岩で道ができてい
た。それが今回はきれいなガラス張りの建物である。
原爆資料館もコンクリートだけの建物からガラス主体の建物に変わり、平和を願うイメージ
が強くなった。ここもそんなイメージだ。
2階で三浦さんと合流。忙しい彼女が付き合ってくれるのは本当にうれしい。
「こちら、こちら!」と言われるままに屋上へ。
県美術館の玄関
←県美術館、屋上庭園に通じるエレベー
ター。
17人全員乗りましたが、ちょっと「ブー」と
音がしたような??
でもエレベーターを降りたら、まぶしい!
そこは夏でした!夏服にするべきでした。
ここからの眺めがすばらしい。360度の展望
という言葉にふさわしい見事な眺めだった。
今までは稲佐の展望台からの眺めしか知ら
ない自分にとって、実に感動的な眺めだっ
た。
西には女神大橋がしっかり見えるし、八郎
岳、唐八景、彦山、金毘羅山、岩屋山、稲佐
山。長崎市中の山々を全部集めたような眺め
だった。
三菱造船所もいろんなクレーンがすぐそこに
見える。
浦上川方面の眺めも見事だった。長崎港フェ
リーターミナルの換気口のような建物や夢彩
都の四角の建物に見覚えがある。
その上に大きな金色の丸いもの。龍踊りの玉
を表しているそうだ。今までにはなかったレリ
ーフ。その向こうの空き地には県庁ができる
と言う。
長崎がドンドン変わってきていると感じる。
高校時代思い焦がれた彼女の家はあの辺だ
ったなあと、妙な感傷にこっそりと浸る。
参加者全員で記念撮影。池田君が持ってき
た大きな三脚がここで生きた。
(申し訳ありません。この時の集合写真、2枚
とも失敗でした。ごめんなさい。池田)
屋上の木の床が心地よい。
足元を見ると大きな公園。
「水辺の森公園」
と、言うそうだ。家族連れが楽しそうに歩いている。
こんな素敵な公園が長崎港の真中にある。長崎もしゃれたことをするものである。
「水辺の森公園が今回のコースに入っているけど、歩くのは大変だ。」と、感じていると、「ここは眺めるだけです。」と、省略してくれた。
ありがたい。
5. 警察署論争
橋を渡ると
「旧英国領事館」
。何のことはない、昔の
「児童科学館」
だ。
昔、父に手を引かれて何度か訪れたことがある。
ミンナもよく知っていた。「あそこには剥製がおいてあった。」とか、大騒ぎである。
かく言う自分も「自動車のギア」の模型があって、ロー・セカンド・トップにギアを入れる度に車
の回転数が変わってとても興味深かったことを覚えている。
そんな「児童科学館」も、今は出入り禁止。
地震対策がしっかりされていないので、クロ−ズしているのだ。入れないことがとても残念。
損をしたような気分になる。
是非、修復して、開放してもらうことを願わずにはおられない。
しばらく499号線を歩くと、素敵な建物。
「国際観光埠頭」
だと言う。
客船が泊まっていないのでイメージが湧かないが、大きな埠頭。客船が一度に二隻も停泊す
ることもあると言う。
昔は出島埠頭があって、すぐ目の前は倉庫群だったのが、今はゆったり広い大きな埠頭であ
る。明日、もう一度、来てみようと思う。
松ヶ枝観光埠頭
旧香港上海銀行
その前が
「旧香港上海銀行」
の建物。ここも
入り口が閉ざされていた。
ギリシャ風のつくりのいかにもルネサンス様
式の建物だ。
「ここは昔、水上警察署だったところだ。」と、
主張したが、誰も賛同してくれる人がいない。
だけど、昔、バス停に「警察署前」というのが
あり、そこに停まると入り口に特徴のあるア
ーチ型の入り口があったのだ。(単なる記憶
です)
でも、誰も知らない。みんなは口には出さない。ボクの主張を疑っているのだ。
後日、ネットで調べると、確かにそこは警察署だった。ただし、水上警察署ではなく、大浦警察署だった。
6. 大浦天主堂で結婚式をあげました。
いつもの坂を上る。左には全日空ホテルが懐かしい。
ここは何度も来ているところ。しかも階段がきつい。2−3日前に膝に水がたまり、歩くのも億劫だ。
ならば、見なくてもいいかと、下で休憩するつもりだったが、「グラバー邸の方へ行きますから。」と、言わ
れ、やむなく、
天主堂
まで上る。
皆が天主堂の中に入って見学している最中、休憩。とは言え、座るところが無い。 仕方なく、立ったまま休
憩。休憩にならない。
修学旅行の学生がたくさん押し掛けて来る。
聞くと、香川大学付属中学生だとのこと。
なるほど、みんな身だしなみもきっちりしているし、清潔な感じだ。
「ちゃんと、帽子は取るんだよ。」と、お互いに呼びかけている声がすがすがしい。
昔の自分に戻ったような感じで生徒たちを見ていた。
10分ほどして全員出てくる。江川君はずっと目の前で電話していた。せっかく、入場券を払ったのに勿体
無い。彼も仕事で忙しいのだろう。
金子君はここで結婚式を挙げたそうだ。
教会で結婚式をあげるために、上智大学にあるイグナチオ教会で、
キリスト教の教えを聞いて「確認証」をいただいた。
「確認証のおかげで教会で結婚できた。」と自慢していた。
「死ぬ前に洗礼を受けなきゃいかんと子供から
言われている。」
と、なげきともなんともつかない声も出していた。
彼の幸せな人生はこの教会で挙げたからだと思わざるをえない。
7. 乗りたかった「斜行エレベーター」
ここからグラバー邸に行くのかと思ったら、グラバー邸は行かずに、教会の右手の道へ。
3分も歩かぬうちに
「ここが祈りのトライアングルゾーンです。」
との説明。
たしかに、小さい交差点を中心にして、それぞれの一角に
大浦天主堂、妙行寺、大浦諏訪神
社
がある景色だ。
しかも、それぞれのエピソードが面白い。
大浦天主堂はプチジャン神父のエピソード、妙行寺は英国領事館のエピソード、大浦諏訪神
社は神社老舗のエピソード。
交差点に立つと確かに霊気を感じた。ホットスポットだというのもうなずける。
ゆるやかな坂を下る。200メートルも歩くと
斜行エレベーター
の1階部分に到着。
ここは
「グラバースカイロード」
と言われ、グラバー邸の入り口にもつながっているそうだ。
祈りの三角ゾーン
斜行エレベーター
「当初、13機作る予定でしたが、予算がないので、今はこの1機だけです。」
と、言う。
費用は3億2000万円。200億円しかない長崎土木関連予算なら、1機だけでも相当な負
担だったと思う。
乗り物大好きの自分にとって、ここで乗らない訳がない。
ところが誰も、乗ろうとしないのだ。
「乗りたい。」
と、言うと、
「片道だけで3−4分かかります
から。」
と、いかにも乗ってはいけない雰囲気。
それでも、
「行くなら行っていいですよ。待ってますから」
と、言う。でも、自分一人でみなさん
を10分以上待たせるのは申し訳ない。
こんなことにはすぐに乗ってくる村山君も雰囲気が暗い。
「何故、みんな乗らないんだ!つきあいの悪い者共め!」
と、心で悪態をつきながらあきらめ
ることにした。
通りががったお店でミカンを買う村山さん
そのみかんをみんなに配ってます
8. また、オランダ坂でダダをこねる。
50メートルも歩かないうちに
「石橋」
に出る。横断歩道がこんもり
と盛り上がっている。
「この下には大浦橋が橋のままで暗渠となっています。」
と言う。
たしかに、下に橋があることは容易に想像できるような盛り上が
り方だ。
橋の欄干がこのすぐ下にあることを想像していると、
「あなたたちはどこへ行くの?」
と、島崎さんの声。みると、修学
旅行生が5〜6人、ウロウロしている。
「はい。グラバー邸です。」「グラバー邸ならここを渡って坂を上っ
ていくんですよ。」
と、優しい。
さすが、
「さるくのガイドだ!」
と、妙に感心する。
オランダ坂へ来た。
「これがオランダ坂です。」
見ると急だ。しかも長い!いっぺんに足が止まる。
オランダ坂
「ここは上りたくない。平地はないの?」
とダダをこねる。
「このオランダ坂をのぼるか、そうでなければ階段です。」
と、厳しい。
「さあ、どっちがいいですか?」
と、更に追い討ち。
階段よりはこっちがいいに決まっている。大声で
「こっちがいい。」
と叫んで失笑をかった。
9. お茶菓子はカステラ
坂の途中から下を見ると
孔子廟
が見えた。「オレはまだ一度も孔子廟に行ったことがないん
だ。」と、声が聞こえる。
たしかに自分たちが高校のころは何もなかった。ガランとした空き地だったことを覚えている。
右手の山の上はマリア様。
海星高校
だ。中学校のとき、不良だった友人が3人ほどこの学校
に行った。
「不良学校」との先入観があったが、今は共学。そんな雰囲気はもうないのかもしれない。
正面の建物が活水だ。
昔は
「活水短大」
と、言っていたのも今は立派な4年制の
活水女子大学
。
昔の清楚な短大生のイメージはもう薄れたのだろうか。
「男性は今でも入れません。」
と、解説をもらいながら、ふとエッチな想像をした。
左手に活水女子大学の門を見ながら右にある
東山手13番館
へ。ここがフィナーレ。お茶とお
茶菓子がでるところ。今日のメインイベントだ。
住所をみると、
「東山手13番甲」とある。なら、乙がありそうだが、その説明はない。
質問しても「また、杉山が変なことを聞きよる。」と、失笑をかうに決まっているのでここは黙っ
ていることにした。
洋風のつくりの建物がうれしい。
中にはいると、観光客らしい明るい声が聞こえて来る。
窓も大きく、部屋も明るい。気持ちまで明るくなる。
「こんなところなら、チーズケーキかな!」
と、思っていたが、出てきたのは
「カステラ」
。
しかも飲み物は
「コーヒーはホットですかアイスですか?」
うーん。
「カステラならお茶でしょ!」
ちっともボクの気持ちをわかってくれない。
でも、カステラはおいしかった。
いかにも長崎のカステラ。しっとり感が何とも言えず、おいしい。
東京にはこのしっとりしたカステラはない。
同じ福砂屋でも東京と長崎では味が違うのだ。
長崎カステラの美味しさで話しに花が咲いた。
東山手甲13番館
時計を見ると、3時を回っていた。
ホテルに帰って着替えなどをするともう、
時間がない。
「久しぶり〜
やっぱり長崎は良かね〜!!」
たくさんの感動をもらったよ。
島崎さん、ありがとう。
島崎美知子さんからのコメント
〈とーく会同窓会さるく〉参加ありがとう
とーく会同窓会さるく参加ありがとうございました。
今回ガイドをすることになり嬉しいような!恥ずかしいような!…
いつもの[さるくガイド]の時よりとっても緊張していました。コースを考えるにあたり、参加して戴く同窓生の年齢
も考え3つのコースマップから最近出来た施設・長崎ならではの歴史ある場所等、なるべく平たんな所を中心に
考えたコースでした。ハードでしたか?ちょうど良いくらいのウォーキングでしたか?
9月10月秋の観光シーズン、さるくガイド依頼の日も多くなり、[とーく会]の日が近づくにつれ、資料の準備も遅
れ気味になり、又孫の邪魔も入りイライラしていましたが「やれるだけやろう!」と開き直り(私の得意わざです)
当日を迎えました。最初のあいさつはどう言おうといろいろ考えていましたが、全員集まった時点で三浦さんの
「わたし先に美術館に行ってま〜す。じゃ!!行っていらっしゃ〜い」の一言でとっても気楽なスタートが出来ま
した。
出島に向かい、案内を始めるといつものガイドの気持ちになり、上がる事も無く気負う事も無く2時間30分
おしゃべりする事が出来ました。
参加者の皆さんも私の案内を良く聞いて戴き、出島ワーフの車輪の所では中学高校時代に戻り、又美
術館の屋上360度景色を見渡せる所で写真撮影ちょっと一休み、水辺のプロムナードの当たりではおし
ゃべりに花が咲き、大浦・南山手へと進みました。
大浦天主堂では教会の中に入り[この教会の歴史やなりたち・プチジャン神父・浦上四番崩れ等]のテー
プのよる案内を聞き、ゴールに向かってもうひと頑張り!東山手を進み[東山手甲13番館]へ、コーヒーセ
ットを頂き「同窓会会場でまた逢いましょう」と解散しました。
同窓会会場でも「さるくに参加して良かった」と言って戴きとてもうれしかったです。参加して戴いた皆さん
又ご主人とご一緒に参加して戴いた奥様「本当にほんとうに、ありがとうございました。」
今回参加出来なかった方、他県にお住まいで久しぶりに帰省された方ぜひ一度[ながさきさるく・通さるく]に参加してください。ご家族連れ・お友
達同士数名で自分たち流のさるく(オーダーさるく)もできます。是非参加してみて下さい。ベテランのガイドさんもいます。
最後に一言 事前に準備していた事の30%位の案内でした。
2013.11.8 ボランティアさるくガイド 島崎美知子
<ちょっとだけ参加した三浦の感想>
全く知らない観光客にガイドをするより、同級生にガイドをするのは緊張しますよね。
県美術館の屋上で稲佐山方向を眺めたら「福山雅治の実家はどこやろうか?」なんて勝手な会話をしますから、島崎さんの予定した説明はちっ
とも進まない!
そのなかで、島崎さんは本当になだめすかしながら一生懸命やってくださいました。
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