草鞋造りの老母(大籠町)

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≪草鞋造りの老母(大籠町)≫

一日かけて3足程の仕上がりとの事でした。約千円程の収入で、お孫さんへの小遣いにするとの事でした。長崎市大籠町にて作画。「おおごもりまち」と読みます。

文化年間(1804年-1818年)三重・樫山よりキリシタンを守る為、深堀武士を慕って移住したと言われています。

当地はけわしい溺れ谷で陸路不便の地は、禁教の目を逓けるのに都合が良かったのでしょう。明治28年(1895年)献堂、昭和27年(1952年)改築のカトリック善長谷教会よりの夕景はロマンを感じ得ます。

善長とはポルトガル語のゼンチョ(異教徒)に因ります。
往時、当地区住民か深堀城下町住民をゼンチョ(異教徒)と呼んでいたのです。