追悼
2015年11月16日逝去
江川 悟 さん
 


東京での同窓会を楽しみにして、同窓会とはとバス観光に参加さ れた江川悟さんが、同窓会から1週間後の2015年11月16日、自 宅で静かに息を引き取りました。

「あの日、あんなに元気だったのに・・・。」と皆さんからの驚きの言 葉がたくさん届きました。

とーく会同窓会にも、ものすごく理解があり、協力を惜しまなかっ た江川さんを偲ぶページを作りました。

左の写真は今回の同窓会で上原さんが撮影した写真です。
満面の笑顔が素敵ですよね。


皆さまから事務局に頂いたメールをご紹介します。
順不同です。
このメールを読んだだけでも江川さんの人柄が偲ば れます。

皆様
 
江川君の件 今夜安置所に行きましたので報告します。
 
家族葬としてますが、同窓生友人の弔問はかまいませ ん。
 
「西高の同窓生には、主人もお別れがしたいと思います ので、
お別れに来ていただいたら喜ぶと思います。主人は西高 の人たちの話をする時は、本当に楽しそうで、自分は羨 ましかったです。」と奥様が言われてます。
 
時間を作ってお別れに来て下さい。
 
日時:11月18日(水) 19:00〜 お通夜
    11月19日(木) 10:00〜告別式

場所:〒563-0045 大阪府池田市桃園2-2-5
             やすらぎ会館 
 (供花の申し込み等は、公益社 豊中会館
рO6−6841−0141 です。)
喪主: 江川 孝さん(長男)
 
特記事項:「勝手ですが、供花と弔電は構いませんが、 お香典は辞退させて下さい。主人もそうお願いすると思 います。」と奥様のお願い事でので皆様了解下さい。
 
ご逝去の状況を奥様にお聞きしました。
「昨日(11/16)夜 二人で、いつものように夕食を済 ませ録画ビデオでNHK「鶴瓶の家族に乾杯」を見ようと 話しながら、自分は食器を片付けて戻ってきたら、椅子 に座ったまま居眠りしてるようだったので、「お父さんどう した・・・・・」と語りかけたらそのまま前のめりに倒れてい ってビクともしなかった。」とのことです。
時間は11月16日21:00頃とのこと。
 
以上です。 江川君のご冥福をお祈りします。 
合掌  山口 修

本当に驚きました
同窓会での思い出が最後になるとは考えてもみません でした
あんなに元気だったのが想像もできません
お悔やみを申し上げます
熊丸秀和

江川さんの訃報を知り驚いています。同窓会では元気な お姿を拝見してたのに、本当に残念です。
同窓会では三浦さんの隣に座っておられましたね。撮影 したビデオを見ていると本当にお元気で信じられませ ん。
とーく会メンバーがだんだん減っていくと心苦しいです。
御冥福をお祈りいたします。 合掌。
佐々木博司

本当に、人を思いやる、仕事も出来る気持ちのいい男で した。
 
三浦さんをフォローしている彼の姿を思い浮かべてます。
 
棺の中でも(動きはしませんが・・・・・)「おお、山口さん」 と今にも言いそうな顔をしておりました。
 
今日、明日と、三浦さんのお気持ちを十分に伝えます。
 合掌。 山口 修

山口さん
 
連絡ありがとうございます。
突然の訃報がまだ信じられませんが、亡くなった時の状 況を聞いてほっとしました。
私は19日にお別れに行こうと思います。
野田 勉

山口さん
お忙しい中、弔問ご苦労様です。詳細な連絡をいただき ありがとうございます。江川さんのご逝去は未だに受け 入れられませんが、経過をお聞きすると安らかに逝かれ た様子で少しホッとしています。合掌。
橋本 卓

江川君の突然の訃報に本当にびっくりしています。
先日同窓会の観光のとき二重橋前で歩きながら懐かし く中学の頃の話しをしたのを覚えています。ちょっと顔が むくんでいるかなとの印象を持ちましたが、昔から太って いたので気にしていませんでした。
冥福を祈るのみです。
齋藤 裕

突然のことで驚きましたが、大変穏やかな最期だったよ うで少し救われた気がします。知らせていただいて有り 難うございました。

バスの中ではお孫さんの写真を見せてもらったり、三浦 さんに会社のホームページなどで色々と世話になったこ となどを聞かせてもらいました。

息子さんのことが少し気がかりな様子で、世渡りが下手 でルアーの製作をしているけれど職人気質であまり金儲 けが出来ないというようなことをいってましたので、それ はすばらしいことじゃないかと云ったらうなずいていまし た。

三浦さんも寂しくなりますね。
気をおとさず、体調に気をつけて下さい。

江川君のご冥福を祈っております。
村山幹雄

なんと言っていいのかわかりません。
 同級生というだけで 相談に乗って頂いたりしてい て・・・。
優しい笑顔を 思い出します。
 1週間前に東京同窓会に参加されたという事なのに、ど うなさったのでしょうね。
 加古川より 田辺美知子

江川悟さんの件、驚くばかりです。小中高と一緒で年賀 もやり取りしていました。大阪の同窓会の時もお世話に なり、今回も孫もお世話になりました。個人的に知ってる 人が亡くなるとショックですね 同窓会のたび声をかけて もらい、とても気持ちが馴染んだのに…3年後逢うのが 楽しみだったのに・・・
島ア美知子

私もショックです。いつも三浦さんを気遣っていたのを、 見ていたからです。東京同窓会の時も、三浦さんを気遣 っていました。人生ってわからないものですね。ご冥福を 祈るばかりですね。私達も注意しましょう。
渡辺憲子

訃報連絡を見て驚いてます。
江川君とは中学から一緒でした。
大阪時代もよく会ってました。
詳しいことが分かりましたらお知らせください。よろしくお 願いします。
安城の浅井です。

びっくりのニュースです。
原因はなんだったんでしょう。
だったらもっとたくさん話しておけば良かった!!!

でも、顔色は少しも悪いことないし、今日明日亡くなるよ うな感じではなかったのに。

今、はとバスツアーの写真を見たけど、しっかり元気に 写っているよ。
とても、元気ない顔じゃないよ。
杉山量良

お知らせ有難うございました。あの 集った仲間がそんな に急に逝ってしまうなんて 寂しい限りですね とーく会で 何かする時は声を掛けて頂きたいです 。     松岡

私(三浦)と江川さんの関わり

西高を卒業してずっと後でわかったことですが、担任の先生の名前を聞いて、 江川さんとは3年間同じクラスだったことがわかりました。高校時代男女共学 ではありましたが、あまり男子とはしゃべってなかったですからね。ですから高 校時代の江川さんの記憶はほとんどありません。

私は33歳の時、運転免許を取得しました。それまで行動が制限される日常で したが、マイカーを手に入れると、糸が切れた凧みたいにあっちこっち出歩くよ うになりました。
九州はある程度ドライブやら、旅行やら回ったあげく、免許取って4年目に遠出 をしたくなりました。

その頃、堺市に住んでいた清田さんの家に遊びに行くことにしました。新門司 港からフェリーに乗り、大阪南港に着く旅行は私にとっては冒険そのものでし た。

旅行に出る前、卒業生名簿を見て江川さんが大阪に住んでいることを知り、全 く友達でもないのに、同じクラスだったというだけで大阪に行くことを連絡しまし た。

江川さんは堺市のもよりの駅まで来てくれて、駅の駐車場に私の車を置か せ、江川さんの車に二人を乗せ、大阪を案内してくれました。
不動産関係の仕事をしていた江川さんは、西川きよしさんとか笑福亭仁鶴さん の家とかを案内してくれました。(外から見るだけですよ。)

一度遠出に成功した私は関西ぐらいはなんとか行けると自信を持ち、何度か 一人で出かけ、そのたびに江川さんにはお世話になりました。

2006年、とーく会ホームページを開設する頃、江川さんから「うちの会社のホ ームページも作ってもらえませんか。」と依頼があり、不慣れな私ではあります が、とーく会のホームページと並行して作成し管理することになりました。

そのためには、物件のデータを私に送ってもらわなければなりません。
「FAXで送りましょうか?」と江川さんに言われましたが、とてもそれでは管理 できないと思い、エクセルでデータを入れるファイルを作成し、それに江川さん が入力して私に送るというスタイルを取ることにしました。

でも、その頃江川さんは自分のパソコンは持ってはいたものの、インターネット を見るぐらいで、あまりパソコンを使いこなしているとは言えなかったのです。

それで私が旅行で大阪に行ったときに、江川さんの会社で、社員の方全員を 対象にエクセルの勉強会をさせていただきました。


ほんの2時間ぐらいでしたから、それで全部わかる筈もありません。それから 電話でやり取りしながら覚えていただき、ちゃんと仕事でつかえるようになった んです。

それ以来約9年、ホームページを管理させていただいています。
「三浦さん、最初会社のホームページは単なる飾りだと思っていたんです。とこ ろがね今はお客さんとホームページを見ながら会話ができるんですよ。
お客さんもどんな会社かわからないときは、まずホームページを見てから会社 に連絡してくるんですね。」と言っていました。

千里ニュータウンを中心に地域密着の営業を誠実にやってこられた江川さん の会社には、親から子や孫へ顧客がつながっているそうです。

そして、6名ほどの社員が誰も途中でやめた方がいなくて、数年前「うちで初 めての定年退職者が出るんですよ。」とおっしゃっていました。
それだけ江川さんの会社が働きやすい会社だということですよね。

とーく会にもすごく協力的で、大阪での同窓会も、長崎での同窓会も必ず出席 してくださいました。4年前の大阪での同窓会は伊丹空港まで迎えに来てくだ さって、同じ便で着いた同級生みんなを会場に送り届け、自分は自宅に車を置 きに帰り、電車で会場にやってこられました。

今回の東京での同窓会も、早く羽田に着いて私が着くのを待ってて下さり、同 窓会や次の日の観光の時もずっとフォローしてくださいました。

羽田でまず食事をしてホテルに向 かいました。
左:江川さん 右:武次さん

会社で暇なときに電話くださるときの話は、ほとんど同窓会の話でした。

プライベートではご近所にお嬢様の家があり、お孫さんが生まれてからは自宅 に帰る前にお孫さんに会ってから帰宅されるそうで、夏には北海道に休暇を過 ごしに行き、デイズニーランドなどもお孫さんのために行かれるそうです。

とーく会の協力者がまた一人いなくなり、寂しい限りです。

江川さんのご冥福をお祈りいたします。               三浦こずゑ




同窓会の会場にて

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突然の訃報を聞き、ただただ驚きで言葉が出てきません。
江川君には大阪での同窓会時にホテルやゴルフ場までのアクセス方法など 心配してくれ、お世話になった事が思い出されます。
一緒に笑って写った写真を直ぐ見て目頭が熱くなりました。
自宅の仏壇でお経を唱げさせてもらいました。合掌
 櫻井静矢

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ビックリしました信じられません。
いつも年賀状もらっていたので、5日に福岡の筑紫野市に転居したので転居 通知を出そうと思っていましたのに…ショックです。
東京の同窓会では元気だったのでしょう?
ご冥福をお祈りいたします。
吉原敬子

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江川君の訃報をメールで知りびっくりしました
それも同窓会には元気に出席しはとバス観光にも参加したとか。
江川君は私と1年の時、同じクラスだったと思います。三浦さんも一緒だった と思います。
昔、同窓会で再会し、「おーい、池田君」と声をかけてくれ、顔を覚えてくれて いたのを思い出しました
その時、まだ若かったが、江川君は若白髪、私は若禿げで、「お互い先生の ようだね」と笑ったことがいい思い出です。。
前回の同窓会で、皆、頭が白髪やはげてきたので「ようやくみんなと同じ年に 見えるようになった」と言っていました。
長崎と大阪で、同窓会以外に付き合う機会はありませんでしたが、いつも気 取らず、人なつこく、会った時は、いつも会っているように話し合っていました
大切な友人を一人なくし、非常に悲しく思っています。

同窓生が一人欠け、また一人と、最近、急に健康のことを考え出しました
ところが私も急病で、10日間入院して、今回の同窓会に出席する予定でした が、キャンセルせざるを得ませんでした。江川君の最後の姿を見られなかっ たのが残念です。

江川君の冥福を祈ります
池田文夫

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報告
江川君をお見送りしてきました。

このたびの江川君の突然のご逝去に際しては、残念 でなりません。
同窓会だけでなく個人的にもとてもお世話になったも のとして、お通夜と告別式に参列してきましたので、報 告します。
お通夜も告別式も家族葬ということで控えめに開催されましたが、両日とも、大勢 の方々の弔問をいただき、江川君との最後の別れを惜しんでおられました。

山口君の17日の報告により、とーく会メンバーのみならず、西高同窓会の先輩や 後輩までもが駆けつけられました。

19日の告別式では、江川君の会社の税務を担当している山本君が葬儀委員長役 の大役を果たしてくれました。
平松先生や三浦さんからの弔電もしっかりと紹介されました。

喪主であるご長男(孝さん)が最後に弔問客へのお礼を述べられました。
「父は生前から自分が死ぬときはポックリと行くからな、と言っておりましたが、そ れはその通りで本人も納得しているでしょう。
だけど、もう一つ、孫たちの成人式を見るまでは頑張る、とも言っていました。
このことが叶えられず、本当に残念で悔しいです。」

この言葉を聞いたとき、喪主孝さんも泣きながらでしたが、私たちももらい泣きして しまいました。

江川君のご冥福を祈ります。
阪上幸男
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追記:江川さんが26年にわたり経営された不動産会社、「キンキ・エステート株式会社」は 残された社員の方で営業を続けていらっしゃいましたが、2016年6月末日をもって、業務 を終了いたしました。



  



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