乙女ベルナデッタの祈り

≪乙女ベルナデッタの祈り
     (カトリック善長谷教会)≫

 大籠(おおごもり)町にて作画。

文化年間(1804-18)カクレ・キリシタンであった佐八らが三重町樫山よりキリシタン信仰を守る為、深堀武士を慕って移住したことに由来する。居住の条件として八幡神社の祭礼及びお水方として深堀藩主用の水汲役をはたし、菩提寺の檀徒になることが義務づけられたが、あくまで表面上のことで、先祖からの隠れの信仰を堅持することにあった。

維新後信仰の自由が公認されると当地のカクレ・キリシタン達はカトリックに改宗したが、改宗を拒んだキリシタンは岳路部落へ集団で移住しカクレを続けた。岳路部落の人々は正月の初詣や、出征兵士を送り出す時など重要な祈願の際は当地の八幡神社に参拝したとのこと。

往時、善長の地はけわしい溺れ谷で陸路不便の地は、禁教の目を避けるのに都合が良かったのであろう。

カトリック善長谷教会は明治28年(1895)献堂、昭和27年(1952)改築。当地よりの夕景(サンセット)はロマンを感じ得る。善長とは異教徒の事をラテン語でゼンチレス、ポルトガル語でゼンチョと発音することに起因している。往時当地区住民が深堀城下町住民をゼンチョ(異教徒)と呼んでいた。