双塔(浦上天主堂)

作画地の本尾町は金比羅山(366.3m)西側丘陵地に位置する。

大部分が住宅地で中世末期頃まで入り江であった。近くに打越と言う字名が有るが"波が 打って越す”に起因する。本尾の地名は金比羅山裾野の突出形状より命名されたと考え られる。

町内にある浦上天主堂は、慶長の初め豊後大友氏家臣の末孫菊地蒲三郎正重の居住 地であった。

宣教師フレノ師設計、明治28年(1895年)起工、信徒達は寄付金と労働奉仕に努めたが、 明治新政府令による浦上キリシタン総流配後で生活の立て直しも容易で無く、完成まで 30年の歳月を費やし、当時東洋一の大聖堂が犬正14年(1925年)完工したが、昭和20年 (1945年)原子爆弾により壊滅した。

昭和55年(1980年)ローマ法王ヨハネ・パウロニ世来崎の折、改装され煉瓦造りとなった。 爆風を受けた当時の鐘楼が下の川に現存し、原爆の驚異を現在に伝えている。