看板店経営
吉原 哲夫 さん
 
  



きっかけは大学在学中にやったアルバイトでした。
長崎市内に看板店を開いて30年ほどになります。

造船マンだった父はサラリーマンになった方がいいと思ったようでしたが、私は手に職があるほうが不況の時にも食いっぱぐれがないだろうと思っていました。




■西高時代は2年まで軟式テニスをやっていました。結構あのころはみんなやんちゃなことをしてましたね。

■卒業後、佐世保市にある国際経済大学に進学しました。

■昭和44年、長崎国体が開催されることなり、たくさんの看板が必要になったので、佐世保にある看板製作会社でアルバイトとして働きました。私は図面を書いたりするのが好きだったのですが、その時の10人以上いたアルバイトの中では結構うまく看板が書けたようで、国体後もその会社から仕事に来てくれるよう声をかけられました。

■大学卒業する頃にはサラリーマンをやる気は全く無く、この仕事をずっとやっていこうと心に決めました。

■それまでアルバイトをさせてもらった会社は大きな会社で分業で仕事をしていましたので、すべての工程を勉強できる小さな看板店がいいと思い、そこで修行させてもらいました。

■昼休みも字を書く勉強を一生懸命やりましたね。

■佐世保では4年働き、28歳の時に長崎に戻って現在地に「ヨシハラ美工(びこう)」の看板を揚げました。

■その頃はすでに結婚していましたが、なんとか家族を食べさせてはいけるだろうと楽観的に考えていましたね。

■最初の頃は午前中仕事をして午後から営業にまわりました。商店等の古い看板を見つけては飛び込み、長崎市内だけではなく琴海や野母崎あたりまで走り回りましたよ。

■店の作業場は狭いので大きな看板はほとんど下請けに出します。


■今の時代はパソコンで作った字を機械で拡大して看板にしますので、手で直に書くことが出来る看板屋は少なくなりました。


■看板屋が大変なのは取り付け作業です。ですから体力的に今の仕事がいつまで続けられるかどうか分かりませんが、もしかしたら息子が継いでくれるかもしれません。

ヨシハラ美工
長崎市清水町11-4
電話:095-844-5097
車体に会社名を入れる仕事などもたくさんやっています。
下の写真は長崎の人ならみんな知っている「カステラ本家福砂屋」と「ケーキの梅月堂」の車体に書いた文字です。街中ではよく家で社名の文字を手がけた車とすれ違いますよ!







★私たちの同窓会で正面に掲げている横断幕もいつも吉原さんが無償で書いてくださっています。

★吉原さんに感謝!!★  (管理人より)
















私は名刺を2種類持っています。

ひとつは商売用のもの、もうひとつはボランティアでやっている地区の役員用のもので、
「長崎市社会福祉協議会西町支部長」と
「長崎県警察浦上地区少年補導員」をやっています。
本職以外のこのようなボランティアの会議等で予定はいつもいっぱいです。


4月から社会福祉協議会の事業として高齢者の食事サービスを始めました。この地区の5千世帯に呼びかけて、月1回の食事サービスを受ける高齢者とそれを支えるボランティアを募集しました。

45名の高齢者と食事の準備をしてくれる24名のボランティアが集まりました。

これも寝たきりや独居老人の事故を発生させないための地区の大事な仕事だと思っています。お互いをよく知っていれば、なにかあったときに少しの変化にも気付き、助け合うことができます。



  



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