西高時代はどんな生徒でしたか? |
高校時代の私は大人しく目立たない影の薄い存在だったと思います。回りから注目されることもなく、周囲の人たちも私に対してはそんなに印象に残っていないのではないでしょうか。
思い出は、3年間毎日徒歩で通学したことでしょうか。当時は本原(浦上地区)というところに住んでおり、そこから毎日学校まで50分ほどかけて通学しておりました。夏の暑い時期や雨の日は大変だったのを思い出します。
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西高卒業後、どのような人生を経て大学で教えるようになられたのですか?
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高校卒業後は大学の教育学部へ進みました。学校の先生になることが目標でした。
大学時代の4年間はスポーツ三昧の生活でした。スポーツはラグビーを選びました。高校時代にスポーツをやらなかった反動でしょうか、大学ではハードなスポーツを選び、勉強よりもクラブ活動中心の生活でした。
大学でスポーツにのめりこんでいた私は、大学卒業前に、教育現場に出るにはあまり勉強をしなかったことへの大いなる反省(少しかっこつけていえば)から、大学院への進学を考え、教育系の大学院へ進みました。
大学院を5年で終了した後、28歳で民間企業に就職しました。30歳を前にして、サラリーマン1年生をはじめるにはかなり勇気が要りました。その後の企業での14年間現場を中心にした仕事に携わりました。この経験はその後の私の考え方の土台を築く元になったと思っています。
42歳のとき、元の目標だった教育現場に戻ることを一念発起して、大学教員採用に応募し、現在の大学教員の道に進むことになりました。当時としては狭き門でしたので幸運でした。現在大学教員として15年目を迎えています。
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大学でどのような授業をされてますか?
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学生が興味や関心を持つように、授業を組み立てるように工夫をしてしています。
大学の授業は1限が90分ですが、今の学生は長時間持続して聞くことができませんので(多分10分から15分が限度だと思います)、グループワークやゲーム的な要素を取り入れ、一方的に聞くだけではなく、そういったものを通じて興味を喚起するようにしています。
たぶん学生からはの評判はいいと思います。
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現在どのような生活ですか?(大学で) |
毎日学生への対応と大学の行政的雑務とでかなり遅くまで仕事をしています。大学の先生の生活は優雅なイメージがあるかもしれませんが、現実はかなり厳しいものです。(ただし一部の先生に限られるかもしれませんが)
今大学を取り巻く環境は、18歳人口の減少に伴い大学冬の時代と呼ばれているように厳しい環境にさらされています。私も教員としての仕事とあわせて、学長補佐として大学の行政の仕事にも携わっています。
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現在どのような生活ですか?(プライベートで) |
近所に住む3歳の孫が週末遊びに来てくれてますので、それが今の私の生活の中にささやかな潤いを与えてくれています。自分の子育ての時(私の子育ては失敗しました)には気づかなかったことを孫から教えてもらっています。
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趣味は? |
趣味は山歩きです。高い山に登るのではなく、自然の中を歩くのが好きで、週末は家内と二人で近くの山をよく歩いています。
最近は海外の山歩きにはまっています。体力があるうちにと思い、5・6年前からは外国の山やナショナルパークを歩くことに挑戦しています。今、特にニュージーランドの自然にはまっています。ニュージーランドの良さは自然のすばらしさと合わせて危険な動物がいないことです。危険な動物がいないとガイドなしで自由に歩けることが可能ですので。
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大学に勤めていなかったらどのような仕事についていたと思いますか?
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私が大学に勤めた後に、企業ではバブルがはじけ、リストラの嵐が吹き荒れましたので、あのまま企業にいたとしたら、リストラをする側の仕事にかかわることになった可能性があります。会社を辞めるときはまだ好景気で、多くの人に引き止められましたが、思い切って転進したことは、結果的には、現在の人を育てる仕事にかかわることができ本当によかったと思っています。
またもう一度自由に仕事を選べるとしたら、ネイチャーガイドなど自然を相手にした仕事に就きたいと思います。
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リタイアした後の人生設計は決めていますか? |
具体的な計画を一つ持っています。7年後、孫と家内と3人でニュージーランドのミルフォードトラック(1日40人しか入れない、4日間で大自然を歩きとおすルートで、数年前に歩いて感激したところです)を歩くことです。
それまで歩き通す体力をどう維持するかがカギだと思います。
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