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                篠田由美子さんは2007年6月19日お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。                
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                      離島での生活                      
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                      篠田 由美子(吉永) さん                      
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                                   長年勤めた会社や出身地を飛び出し、離島の壱岐市郷ノ浦町で新たな生活を営む夫婦がいる。神奈川県茅ケ崎市出身の篠田幹男さん(58)と、長崎市出身の由美子さん(57)。暮らす約五千平方メートルの広大な土地には母屋のほか、いろり付きの別棟もある。周囲には自家栽培の野菜畑や果樹畑。さながら”楽園”だ。 
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                                  自慢のいろり部屋で、穏やかな時間を過ごす篠田さん夫婦=壱岐市郷ノ浦町 
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                                  | 大手広告会社に入社したころの由美子さんのご主人、幹男さん(中央)。「団塊の世代」は時代のけん引者として世相をにぎわしてきた(篠田さん提供) | 
                                 
                              
                             
                            
                            
                            
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                            長崎新聞掲載の記事より(2006.1.1) 
                                                        
                            
                            
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                                    二人で移住したのは1998年夏ごろ。幹男さんは大卒後、大手広告会社に入社。東京で8年、福岡で約20年、マーケティング部門の第一線に携わった。「サラリーマンに向いていない性分だったが、『広告で社会を明るくしたい』と燃えていた」 
                                   
                                    責任ある立場で数々の有名キャンペーンを手掛ける中、壱岐市とのつながりができた。「ほっとするような昔の日本があった。大陸から文化が通っていった歴史の厚みも備えていた」。仕事で足を運んだのがきっかけだった。 
                                   
                                    ”脱サラ”による半農半漁の暮らし―。30歳代半ばから温めていた。「体力がある50歳代で会社を辞め別の生き方をしよう」。定年まで数年を残した97年12月31日付で退職した。 
                                   
                                    「辞めるぞ。壱岐に行こうと思う」。由美子さんにそう切り出したのは辞める2カ月前。最初は「困惑した」由美子さんも同意。 
                                   
                                    二人は東京の大学時代に知り合い、「(同せいを描いた歌)『神田川』のような暮らし」を経て卒業後に結婚。由美子さんは内助の功に徹し、福岡時代はクリエーティブな幹男さんの仕事面も家庭で支えた。 
                                   
                                    幹男さんが描く将来のグランドデザインは明快。「近県の福岡という大都市圏を主な市場に、小さな果樹園をやる。体験型農園を開き、3―5年で計画に乗せる」 
                                   
                                    住まいは借家で、家賃は安く抑えた。住みやすく楽しい暮らしにしようと、幹男さんが併設の牛小屋跡のいろり部屋改造に奮闘。そんな姿に由美子さんは打たれた。2月に果樹園の準備を始め、整地まで終了。計画は進む。 
                                   
                                    現役時代のノウハウやネットワークを生かし、島内外で観光業のアドバイザーなども手掛けている。収入は副業や貯蓄、企業年金。子どものいない二人は、自家製の「大人の遊び場」ともいえるいろり部屋で、今夜も杯を重ねる。穏やかな時間が流れていく。 
                                   
                                    かつて大陸文化の中継地として日本の最先端にあった壱岐。過疎化や高齢化が進み、「ひっくり返した意味で、21世紀の日本の先頭を走っている」と幹男さん。 
                                   
                                    「われわれの世代は良くも悪くも世の中を引っ張り、数を頼んで世相を騒がせてきた。五十歳をすぎたら自分なりの落とし前をつける。離島で今までの経験を生かして世の中のためになりたい」。思いは強い。 
                                   
                                    壱岐では島外からの移住者を敬意を込め「旅の人」と呼ぶ。二人が歩き始めた旅路は、団塊世代が進む新たな時代を予感させる。 
                                  (報道部・吉岡俊治) 
                                   
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