ダンス
田辺 美知子(杉山) さん
 

ジム先生とのデモンストレーション


マーガレット・モリス・ムーブメント
(略称MMM)とは

1900年代初めイギリスで誕生。モダンダンス
のパイオニアであるマーガレット・モリス(1891
-1980)によって創られました。彼女はダンサ
ーであると同時に、画家でありセラピストでも
あり、当時まだ舞台関係者など限られた人だ
けのものだったダンスとムーブメントを一般の
人々へと普及につとめた人物でした。



マーガレット・モリス・ムーブメント

<高校> 体操部に所属していました。クラブの1年先輩にオリンピックに出場された小田知恵子さんがいらっしゃいます。試験の成績が悪いと親から体操部をやめなさいと言われるので、部活と図書館通いの3年間でした。

<大学> 生化学を勉強したかったのですが、そのような勉強ができる大学は少なく、ちょっと化学実験みたいなものが出来そうだったので共立女子大の家政学部に入りました。大学には体操部がなかったので、私が作ってしまいました。

<就職> 卒業後、長崎に帰り三菱重工でプログラマーという仕事をやりました。ただし、大学でそのような勉強をしてきたわけではありませんよ。
会社では組合活動に興味を持ち、とうとう組合のリーダーになってしまいました。

<結婚> 会社には3年弱勤め、26歳の時に会社の人と結婚をしました。でもお見合いみたいなものです。

<ダンスとの出会い> 30歳の時、「マーガレット・モリス・ムーブメント」というダンスのことを長崎新聞の記事で知りました。「これだ!」と思い、習いに行くことにしました。当時フランス人の先生が福岡から月に1回長崎に教えに来てくれる教室があったんです。
子供が3歳と1歳でした。最初は子供も連れておもちゃとオムツを両手に持って行き、レッスン場の隅のほうで遊ばせてましたよ。(主人に内緒でね。)
そのうち、ベビーホテルに預けてレッスンしに通うようになりました。

<転勤> 1982年、長崎大水害の年に主人の転勤で東京に転居しました。

<東京支部開設> 下の子が幼稚園の時、周りのお母さんたちに勧められて駒込にダンスの教室を開きました。生徒は12人ほどで週1回レッスンしていました。

<転勤> 1995年、「阪神淡路大地震」が起きた年に東京から兵庫県加古川市に転勤。少し遅れて移り住んだ私は、ダンス教室を続けるために東京に月1回通う日が続きました。しかし、この2重生活は精神的にも体力的にも無理が来て1年ほどでやめてしまいました。

<現在> 私自身が体調が万全でなく、親の介護もありますので、今は教室を持っていません。ただダンスは自分のライフワークとして今も続けています。


5月に帰省された時、長崎新聞社のロビーにて


オンディーヌ

MMMは、若さを保つからだと心のエクササイズです。

からだにナチュラルな運動です。
初心者でも安心です。
すべての年齢の方におすすめします。
リラックス&リフレッシュが得られます。
本部トップ指導者による特別講習会を毎年実施。
ティーチャーへの道もあります。
国際色豊かなサマースクールに参加できます。


  MMM JAPANの教室は神戸・福岡・長崎にあります。

  掲載の写真はすべて田辺さんご本人です。

まほろばの里




  



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